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フローラン・エオー

「耳」で音楽をつくる──音程、音色、そして学び続けること|フローラン・エオー インタビュー【後篇】

コンクールやオーケストラオーディションを目指す若いクラリネット奏者に、何が必要なのか。フローラン・エオー氏に伺うインタビューの後篇です。

前篇では本番への準備、中篇ではオーケストラオーディションで求められるものと、オーケストラスタディの学び方について伺いました。
その中で、エオー氏が何度も口にしたのが「聴く」ということでした。
音程を合わせるとき、何を聴くのか。音色をつくるとは、そもそも何をすることなのか。そして、コンクールで成功することは、音楽家の成長の中でどのような意味を持つのでしょうか。

最終篇では、技術的な方法論から始まり、エオー氏自身の教育観、そして学び続けることへと話を進めます。

イントネーションは「目」ではなく「耳」でつくる

イントネーションについて、学生にはどのように「耳で音程をつくる」ことを教えていますか?

私は、イントネーションは「目」ではなく、本当に「耳」で練習すべきものだと思っています。
針を見るタイプのチューナーで練習するのは、あまり良い方法だとは思いません。

私はたとえば“Cleartune”というアプリを使っています。基準となる音を鳴らすことができるので、その曲の主音や属音などを選び、その音を持続させながら練習します。
そうすると、一つひとつの音をチューナーの表示上で「正しい位置」に合わせるのではなく、基準音との響きの関係を耳で聴きながら、和声の中で音程をつくることができます。

これは、ヴァイオリン奏者が開放弦との響きを聴きながらイントネーションを確認するのと少し似ています。
たとえば和声の中で長3度を演奏するときには、音程を少し低めに取る必要がある場合があります。そうした違いを、針を見るのではなく耳で聴けるようにする。
私はチューナーを使いますが、「針」ではなく「音」を使うのです。
そうすると音の置き方そのものが変わるので、音色も良くなると思います。

編集注: 基準音を持続して鳴らす「ドローン」を使った練習では、基準音との間に生じる「うなり」や、二つの音の組み合わせによって聞こえる「差音」などを手がかりに、響きを耳で確かめながら音程を調整することができます。ここでエオー氏が説明しているのは、単音をチューナーの表示に合わせるだけではなく、自分の音が和声の中でどのような関係にあるかを耳で捉え、それに応じてイントネーションをつくる練習です。

フローラン・エオー
インタビューでは、演奏技術の話から教育、聴くこと、音楽家として学び続けることへと、話題が次々に広がった。質問に答えながら、自身の経験を振り返り、新たな考えを言葉にしていくエオー氏。

音色に何を求めるのか

学生とは音色をどのように練習しますか? その人自身の色彩のパレットを広げ、音楽に応じて使い分けられるように、どのように導いていますか?

いろいろな方法がありますが、私は時々、自分で演奏して、クラリネットでどんなことができるのか、その可能性を学生に見せます。
音で何ができるのか想像できなければ、そもそも本人にはその発想がありませんから、できるようにはなりません。

たとえば音色を変えることを説明するときには、実際に見本を演奏します。そして彼らが耳でそれを聴き、自分でもやってみたいと思うまで一緒にやる。
一度耳で分かれば、実際にできるようになるのは意外と早いのです。

でも、想像できないうちは難しい。
金魚鉢の金魚に「海とは何か」をどう説明するのか、という有名なたとえがありますよね。
小さな鉢の中にいる金魚には、海は分からない。
実際に海を見せるしかないのです。
だから、自分で演奏して、音でできることの可能性を見せるのは本当に興味深いと思います。

私は歌手やヴァイオリン奏者が使う言葉ともよく結びつけます。たとえば portatoportamentomessa di voce などです。

今、とても好きな映像があります。ルチアーノ・パヴァロッティ氏のマスタークラスで、高音をどう「カバーする(couvrir)」かを説明している動画です。
非常に良いテノールでもそれをしない場合と、卓越したテノールが高音をカバーできた場合とで、そこにどれだけエレガンスが生まれるかを実演しています。学生にそれを聴かせると、すぐに何かを理解します。
そのあとで、クラリネットでも、ときに攻撃的になりやすい高音を少し「カバーする」ように、と頼むのがずっと簡単になります。
最近は、必ずしもクラリネットの例だけではなく、別の楽器や声の例を使って、さまざまな奏法を示すようにしています。

ルチアーノ・パヴァロッティによる高音のカバーについてのマスタークラス
ルチアーノ・パヴァロッティ氏が、高音域で声を「カバーする(cover / copertura)」ことについて解説・実演するマスタークラス。エオー氏が、音色表現を考える際の例として紹介した映像。 動画を見る

結局、「聴くこと」の問題が大きいのですね。

まさにそうです。

現在、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席クラリネット奏者を務めているカルロス・フェレイラ氏が、ローザンヌで私の生徒だった頃のことを、よく覚えています。
彼はある演奏会を聴きに来て、私にこう言いました。
「先生が音でこれほど多くのことをできるなんて、驚きました」と。

重要なのは、「美しい音か、美しくない音か」ということではありません。
「音で何ができるか」なのです。
音をどう変化させることができるか。アタックなしでどう音を始めるか。音に芯を入れる、あるいは抜く。ヴィブラートをかける、かけない……。
音でできるすべてのことと、それが表現にもたらすものです。

若い人たちは、一度そういうものを耳にすると、まるで扉が開くようになります。
一度想像できれば、それを実現する方法を見つけること自体は、実はそれほど難しくありません。

音楽家を目指す、その先にあるもの

若い奏者が、音楽家という仕事に本当の情熱を持つためには、何が必要だと思いますか?

そうですね。演奏会で感じる感動です。

たとえば今、私の学生の一人がロンドン交響楽団でマーラーの交響曲第4番を聴きに行き、「これは自分にとって啓示だった。これを聴いて、こういう音楽をやりたいと思った」と言いました。
今では彼は、そのオーケストラに入りたいと思っています。
突然、その仕事に対する本当の情熱が生まれたわけです。

逆の例も見てきました。
楽器がかなり上手だから、そのまま音楽家になっていく人もいます。でも、その背後に音楽への情熱がなければ、長くは続きません。

以前、ある学生に「君の夢は何?」と聞いたことがあります。
「パリ国立オペラ座管弦楽団の首席クラリネット奏者になりたい」と言う。
「それはいいね」と言って、私は《トスカ》のソロを歌ってみせ、「これを知ってる?」と聞きました。
すると、「知らない」と。
そこで私は言いました。
「君の夢は『ポスト』なんだね。でも、そのポストで演奏するレパートリーすら知らない」
それでは「地位」が夢になってしまっています。
それは、もちろんだめです。

コンクールを、成長の機会にする

コンクールやオーディションを準備している若いクラリネット奏者に、その経験を音楽家としての成長につなげるために、どんな助言をしますか?

国際コンクールを準備するということについてですが、私はコンクールも教育の一部だと思います。
成長するための試練の一つです。

クラリネットでは、コンクールに優勝したあと、そのまま大きなソリストのキャリアへ進む人は実際にはごく少数です。マルティン・フレスト氏のような例はありますが、コンクールに勝っても、必ずしもソリストのキャリアに結びつくわけではありません。
しかし、その経験は育成の中で大きな意味を持ちます。

フランス語で言う「火の試練(épreuve du feu)」―― 実際の厳しい場に身を置き、自分の力を試す経験、のようなものです。
自分自身を知り、自分の能力を伸ばし、自分の外の世界を知る。

国際コンクールでは、自分とは異なる文化から来た人、楽器や音楽性に対して異なるアプローチを持つ人の演奏を聴きます。
準備している最中には、もちろんそのコンクール自体が目的のように感じられます。
でも理解しなければならないのは、それは成長の道の中の一段階にすぎない、ということです。

たとえば、前回日本でジャック・ランスロ国際クラリネットコンクールに優勝したアンヘル・マルティン・モラ氏にとっても、あのコンクールは音楽家として自分を形作るために重要だったと思います。
しかし彼がリヨン国立オペラを経て、今、パリ国立オペラのポストを得たことは、ある意味ではさらに大きな到達です。
そしておそらく、それができたのは、成功した段階だけでなく、うまくいかなかった段階も含めて、いくつものステップを通ってきたからでしょう。

結局、何が起きても学べるのです。

国際コンクールで失敗しても、「なぜだったのか」「次は何を改善できるのか」を誠実に考えれば、それは前向きな一段階になります。
何も考えず、ただ怒っているだけなら、それは失敗です。
何も学んでいないからです。

私は、すべての機会が学びにつながると思っています。
学生の中には、コンクールに挑戦するとき、私から見ればまだ少し力が足りないと分かる場合もあります。
でも、直接言いすぎると意欲を失わせてしまうので難しい。一方で、そのコンクールを受けること自体から何かを学ぶだろうとも分かっています。
受け止め方が良ければ、さらに成長できるのです。

フローラン・エオー
欧日音楽講座でのレッスン風景。演奏を聴きながら、身振りも交えて音楽の方向を伝えるフローラン・エオー氏。

教えること、学び続けること

長年教えてこられて、逆に学生たちから何を学びましたか?

たくさんです。いつも、たくさん学んでいます。
教育の素晴らしいところは、私が飽きないことです。いつも何かを学び、方法を発展させ、もっと効果的になろうとしている。
これは本当に素晴らしいことです。

そして教育は、本質的に人と人との関係です。
一人ひとりの学生には異なる人格があり、異なる歩みがあります。その一人ひとりと築く関係そのものが、人間的な意味でも素晴らしいと思います。
誰かが自分自身を発展させ、成長していくのを助ける。それはもちろん責任でもありますが、本当に素晴らしいことです。
そして私自身も、そこから多くを学びます。

特にローザンヌで教授になってから、オーケストラスタディをどう学ぶか、どう学生に教えるかという方法をかなり発展させてきました。
そして私自身も、その作業をしています。
私は各オーディションのPDFを全部iPadに保存しています。もう7年分です。
毎回のオーディションについて、なぜうまくいったのか、なぜうまくいかなかったのか、自分でも理解しようとします。学生たちと一緒に話し合います。
彼らが自分を築いていくのに伴走しながら、私自身も彼らと一緒に自分を築いています。彼らと一緒に学んでいます。

なぜうまくいかなかったのか。なぜうまくいったのか。
さらに良くするため、より効果的になるために、どんな方法を使えるのか。
それが私は本当に面白くて、夢中になっています。

音楽に情熱があるなら、レパートリーでも練習方法でも、常に探究が続きます。
新しいことが現れ、突然理解できることがいつもある。そのことに私はいつも驚かされます。

学習理論に、こういう段階があります。
最初は「無意識的無能(inconsciemment incompétent)」です。何かができないうえに、自分ができないことすら知らない。
次に「意識的無能(consciemment incompétent)」。できないことを自覚する。
次に「意識的有能(consciemment compétent)」。できるようになったけれど、まだかなり努力を必要とする。
そして十分に練習すると「無意識的有能(inconsciemment compétent)」になり、自然にできるようになる。
さらにその上に「メタ・コンピテンス(méta-compétence)」という段階があり、そこでまた新しいサイクルが始まる。
上まで行くと別の扉が開いて、また学習の循環が始まるのです。

終わりはありません。

知識は風船のようなものだ、という話を読んだことがあります。
知識が風船の中にあり、風船の表面が「自分の知らないこと」に接している。
知識を増やして風船を膨らませれば膨らませるほど、知らない世界と接する表面も大きくなる。
以前は全く知らなかったものが、知識が増えることで、
「ああ、その向こうには、こんな世界まであるんだ」
と見えてくる。

そういうことです。

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