ミシェル・アリニョン氏 教授法 第9章:現代奏法
現代音楽の高度な技術と、その背後にある表現の本質とは何か。本章では、パリ国立高等音楽院元教授ミシェル・アリニョン氏が、スラップ・タンギング、グリッサンド、そしてエディソン・デニソフ《クラリネット・ソナタ》を例に、現代奏法における「解釈」の重要性を語ります。ハインリッヒ・メッツェナー元教授による記録をもとに、演奏実践に根ざした示唆に富む対話をお届けします。
※本記事は、Cladid-Wiki(Haute École Spécialisée de Lucerne, HSLU)に掲載された
「Michel Arrignon — Pédagogie de la clarinette」
(執筆:Heinrich Mätzener/2018年5月4日・マント=ラ=ジョリー)の
公式日本語翻訳版です。
著者 Heinrich Mätzener 氏および Camille Arrignon 氏の許可のもと、
ビュッフェ・クランポン・ジャパンが翻訳・編集を行っています。
9.1. スラップ・タンギング — 現代奏法
Slap Tongue
HM:私にとっていちばん難しいのは、アンブシュアをほぼ通常の形のまま保つことです。リードの上に舌をしっかり置いて真空状態(ヴァキューム)を作り、それを離す瞬間にアンブシュアの形を保つ ―これがとても難しいと感じます。バスクラリネットではうまくできますが、B♭クラリネットやE♭クラリネットではうまくいきません。
MA:正直に申し上げますと、私はスラップをできません。これまで一度も成功したことがないんです。ただ、バスクラリネットでは、ええ、ずっと簡単です!でも、それでも私はスラップを自分の生徒に教えてきました。やり方は分かっているので。だから、私のところでスラップを習得した生徒もいるんですよ!この奏法を見事にこなす人たちに、何度も説明してもらって、よく理解しています。ある生徒とはとてもうまくいき、別の生徒ではうまくいかない―そんな感じです。
HM:スラップと、とても荒いスタッカートとのあいだには、共通点があると思います。私は舌をかなり深くあて、強めに押しますが ―それでも、真空状態とは言えません。本当にうまくやる人たちは、舌でリードを「吸い付かせ」、その真空を作り出し、そのあと舌を離すと、リードが反発して跳ね返るんです!
MA:ええ、ええ!私の教え子に日本人の学生がいたのですが、彼は本当にすごかった。舌とリードのあいだで完全に空気を抜いて、リードが舌にくっついたまま、マウスピースが自立してしまうほどで… そして、ものすごいスラップ音を出していました!
9.2. グリッサンド
Glissando
HM:グリッサンドの始まりというのは、実は音程の修正から生まれるものですね。それは、発音(ヴォカリゼーション)の変化によって生じるもので、この技術は、運指との組み合わせでできているのだと思います。
MA:そう、その通りです。アンブシュアと舌による開閉の動き ― あるいはその逆 ― によって作られます。どこから始めるかによって変わりますが、これは簡単なんです。ただし、シャリュモー音域ではずっと難しい!
9.2.1. エディソン・デニソフのソナタ
La Sonate de Edison Denisov
HM:難しい箇所が、デニソフのソナタの中にあります。ラ₁ から レ♭₁ へのグリッサンド。私は運指を試してみました。つまり、ラ₁ をラのキーではなく12度のキーで押さえ、ソ₁のトーンホールを開けたままにして、そこからクロマティックに下降していき、最後に ラ まで行く。親指は12度のキーに置いたまま、ソ₁は開けたまま。そうすると、レ♭₁ に到達できるんです。
9.2.1.1. 第1楽章のグリッサンド
Glissando au premier mouvement
MA:運指だけでも、ほとんどできるところまでいきます。でも、少し舌の助けが必要です。私が作曲者のデニソフ本人から直接聞いた話ですが、私がこの作品を初演したときのことです。この曲は、ロシアのクラリネット奏者レフ・ミハイロフ(Lev Mikhaïlov)に献呈されたんです。
【参照音源】YouTubeチャンネル:gullivior
動画名:Mikhailov and Yudina play Debussy “La danse de Puck”
HM:ああ、この曲を初演なさったのですか?
MA:フランスで、フランスでです!
HM:デニソフはパリに住んでいたのですか?
MA:彼はパリにしばしば来ていました。ソビエト連邦の公式な音楽家だったので、西側に移動することに問題はなかったのです。だから、彼は自分のソナタのフランス初演を聴くために来ていました。私が彼の前で演奏を始めると、彼が言ったんです。「冒頭のあのグリッサンドは、レフ・ミハイロフのために書いたんだ。彼は、それを信じられないほど容易に ―しかもシャリュモー音域でも― やってのけた。」と。それで私はこう推測しました。彼は、きっと非常に柔らかいリードを使っていたのだろうと。― それが、私にとっての手がかりになったのです。
もうひとつ、私に理解をもたらした経験があります。ある晩、私はルーマニアのフルート奏者、ザンフィル(Zamfir)のコンサートを聴きに行きました。素晴らしかった!そして私が驚いたのは、彼と共演していたクラリネット奏者でした。彼は、どの音域でも見事にグリッサンドをしていたんです!
【参照音源】YouTubeチャンネル:Ghita Olaru
動画名:Gheorghe Zamfir – Dorin Cuibaru – Pavel Cebzan – Efta Botoca – Cea mai tare orchestra a Romaniei
演奏が終わったあと、私はその方のところへ行って言いました。「あなたの演奏にとても感銘を受けました。私はCNSMの教授なのですが、そのグリッサンドはどうやってやっているのか、ぜひ知りたいのです。」すると彼はこう答えました。「そんなの簡単ですよ! 何でもありません! ニールセンの協奏曲を吹く方がよほど難しい!」と。そしてこう言いました。「やってみてください。息を吹き込めば、できますよ!」私が吹いてみると…音がまったく出ない!(笑)マウスピースはとても閉じたもので、まるでバロック・クラリネット用のマウスピースのようでした。分かりますか?
そのあと家に帰って、私は考えました。「どうしてこんなことが可能なんだ?」と。そして、わかったんです。彼はマイクで拡声していたんですよ!だから強く吹く必要がなかった。そして実際、マウスピースを非常に閉じたものにして、リードを2番くらいの柔らかいものにすれば、(下降方向の)グリッサンドはできるんです―この音域でも!
HM:やってみます!でも、とはいえソナタ全体をリードNo.2で演奏するわけにはいきませんね!それでもそのクラリネット奏者はやってのけたんですね!そのロシア人のクラリネット奏者は、第2楽章でも、あの高音域の跳躍全部を吹いていたんですか?
9.2.1.2. 第2楽章のテンポ
Tempo du deuxième mouvement
MA:ええ!ですからね、これは本当に重要なことなんです。
私はデニソフの前で、かなり慎重に演奏していたんです。すると彼が突然こう言いました。
「いや、まだ速さが足りない。もっと、もっと速く。さあ!」
私は言いました。
「でも、それでは無理です。私には速すぎます!」
すると彼は言うんです。
「いや、大事なのは音の反復だ。できるだけ速く。そしてモチーフの部分に入ったら、そこは自分のテンポでやればいい。重要なのは“焦燥感”なんだ!」
そして右ページの下 ―Ti tara tara pa ! ― のところまで来たとき、私は言いました。
「ここは、このテンポでは無理です。すみません。」
すると彼は、
「いや、できる。自分のテンポでやりなさい。」と言ったのです。
こうして私は、第2楽章の精神を理解したのです。それまでは、到底演奏できない作品に思えていました。彼に出会えたことは、私にとって本当に幸運でした。彼は、自分が求めているもの、そして彼にとってテキスト解釈がいかに重要であるかを、私に示してくれたのです。
HM:デニソフはモーツァルトを多く聴いていたそうですね。オペラも ―そして《魔笛》の中では、パパゲーノがいつも入ろうとして、
扉を叩くでしょう? いつもあのモチーフがあって、でも扉は開かれない。それに、序曲の「Ta Pam, Pam !」― あれは、フリーメイソンの扉を叩く合図なんです。それで彼は問題を起こしたと聞きました。
MA:ええ!
HM:そしてもう一度、パパゲーノ ― 彼は特権階級の輪の中にはいない人物で、自分の状況から必死に抜け出そうとしている ―
その姿こそ、フーガ風の部分の主題かもしれません。あるいは、ソナタ全体の主題でも。
MA:ええ、その関係はあると思います。彼自身がそうはっきり言ったわけではありませんが。しかし彼は、出口を見いだせずにいる人間の言葉で、その“不安”を私に語ってくれたのです。それは、ドナトーニにも共通していました!
HM:ええ、ドナトーニの《Clair》ですか?
MA:《Clair》? あれは非常に強い焦燥 ― いや、ほとんど切迫した不安と言ってよいほどです。つまり、そこから抜け出せないのです。まったく同じことなんです。あの繰り返されるフレーズ ―ようやく出口らしきものが見えてきたかと思うと、それは決して出口ではない。ただ、同じところを回り続けているだけなのです。そこにいるのは、常に不安を抱えた人々 ― 不安に満ち、そして時には切迫した不安にまで追い込まれている人々なのです。
HM:現代音楽の中にも、こうした感情を見出すことが大切ですね。
MA:もちろん、常にそうとは限りません。私はいま二人の作曲家を挙げましたが、すべての作曲家が焦燥に駆られているわけではありません ― 幸いなことに!
9.2.1.3. 解釈
Interprétation
MA:音楽は、あくまで音楽です。現代音楽であろうとなかろうと、それは変わりません。
現代音楽はしばしば技術的に非常に難しいものですが、それでもやはり“解釈”が必要なのです。
たとえば―もし私がデニソフに出会っていなかったら、彼が説明してくれたことを、私は決して試そうとはしなかったでしょう。おそらく私はこう思っていたはずです。「それはできない。そんなことをしたら裏切りになってしまう」と。
しかし、まったく違うのです。―それこそが“解釈”なのです。
大切なのは、その音楽の性格を理解しようと努めること。そして、それに応じて自分なりに解釈していくことです。
私は〈アンサンブル・アンテルコンタンポラン〉に在籍していた頃、自作をクラリネットで聴いたことのない作曲家たちと数多く仕事をしました。ときには、私は直感的に、かなり自由に演奏することもありました。すると、ある作曲家がこう言ったのです。
「私のイメージとは少し違うけれど…そのままでいいですよ。」
原文:Michel Arrignon — Pédagogie de la clarinette(Cladid-Wiki / Haute École Spécialisée de Lucerne)
執筆:Heinrich Mätzener(2018年5月4日/マント=ラ=ジョリー)
日本語訳・編集:ビュッフェ・クランポン・ジャパン
翻訳および公開は、Heinrich Mätzener 氏および Camille Arrignon 氏の許可に基づいています。
このページは 「ミシェル・アリニョン教授法 — クラリネット教育における哲学と実践」 シリーズの一部です。