ミシェル・アリニョン氏 教授法 第3章:音色の質
音色とは、単に「明るい」「暗い」といった形容では捉えきれない、クラリネット表現の中核的な要素です。この第3章では、ハインリヒ・メッツナー氏の問いかけを起点に、ミシェル・アリニョン氏が〈音色の美学〉をめぐる自身の経験と考察を語ります。時代や地域によって移り変わる流行、音の明暗に偏りすぎることの危うさ、そして何より“音楽そのもの”が音色を方向づけるという視点。さらに、どのテンポやニュアンスにおいても生命感を失わず、自在に変化しうる「可変性(modulabilité)」の重要性が浮かび上がります。音の質をめぐる議論を通して、技術と音楽性を両立させるアリニョン氏の教育哲学が立体的に示される章です。
※本記事は、Cladid-Wiki(Haute École Spécialisée de Lucerne, HSLU)に掲載された
「Michel Arrignon — Pédagogie de la clarinette」
(執筆:Heinrich Mätzener/2018年5月4日・マント=ラ=ジョリー)の
公式日本語翻訳版です。
著者 Heinrich Mätzener 氏および Camille Arrignon 氏の許可のもと、
ビュッフェ・クランポン・ジャパンが翻訳・編集を行っています。
3. 音色の質 – La qualité sonore
HM:良い音色の質を獲得するためには、聴覚(耳)がとても重要です。私は、スイスやドイツの若いクラリネット奏者のあいだで、どちらかと言うと力強い音色を求める傾向を観察しています。それは、私にとっては優先事項ではあまりありません。私は、ダイナミクスの柔軟性や、音程(イントネーション)の柔軟性、そしてデタシェの軽やかさに集中したほうがよいと思います。これらのパラメータは、強く暗い音色の出し方にとらわれすぎると、コントロールが難しくなります。フランスでは違いますか?どのような音色の美学を育てようとしておられますか?
3.1. 流行は変わる(Les modes changent)
MA:まず、流行現象について語る必要があります。
私がクラリネットを学んだ頃は、音の美学は現在とは同じではありませんでした。その音の美学は、いま申し上げているその頃から、私がCNSM(パリ国立高等音楽院)の教授に任命された時期までのあいだに変化しましたし、その時期から現在に至るまでのあいだにも変化してきました。
どちらか一方の音の美学に肩入れするのは難しく、私としてもそれは控えたいと思います。しかし現在、フランスでも世界中でも、マットで、なめらかで、非個性的な音を推す「偏愛」(オブセッション)があります。言葉を選んだうえで、「偏愛」と言います!結果として、その音色を得るためには何でもするようになりますが、多くのほかの事柄が犠牲になります。ところが、だれもが知るように、求めるべきは均衡(バランス)です。とは言え、ここで想定している話し相手は学生ですから、責任は重いのです!初めの頃、私が出発した頃には、私はジャック・ランスロ(音源例:以下のCDアルバム画像か、次のURLをクリックしてお聞きください。 Les contemporains écrivent pour les instruments à vent : La clarinette)の音が好きでした。デタシェの上品さ、そして彼のスタイルです。今日では、ほとんどの学生が、彼の奏法の気品や優雅さに耳を傾けることさえしません。断が下されてしまったのです――「それ(彼の音色)は明るすぎる」と!
ジャック・ランスロ(クラリネット)、フランソワーズ・ゴベ(ピアノ)
その後、ギィ・ドゥプリュ(音源例:YouTube動画 3 pieces pour clarinette seule (n°1) Stravinsky)は、より暗い音を熱烈に擁護する立場をとりました。そこへ向かって進化するのが必然だ、というわけです。私はそうしたすべてを経験しましたし、アメリカ合衆国へ仕事に行って、さらに別の音も耳にしました。そして私は気づいたのです――それら異なる流行はただの細部にすぎない、と。結局、聴衆の心を動かすのは音楽です。
聴衆は音色の違いを区別したりしませんし、それが彼らを圧倒するものではありません!ですから、この音、あの音、と音色を最優先の目標にするのは、単純化しすぎて本質を狭めてしまうように私には思われます。むしろ音楽的な方向に進むべきです――「どうやって、私を圧倒するこの音楽の感動を、聴衆に伝えるのか?」と。それは、人生に意味を与えうることなのです……。
YouTubeチャンネル:prolixe75
動画名:3 pieces pour clarinette seule (n°1) / クラリネットのための3つの小品(第1番)
楽曲名:Stravinsky / ストラヴィンスキー
奏者:Guy Deplus / ギィ・ドゥプリュ
HM:私にとって音色で非常に重要に思われるのは、柔軟性です。すなわち、任意のどのようなテンポとニュアンスでもダイナミクスを展開できること、そして音がつねに動いていること、言ってみれば……。
MA:……動いていること……。
HM:それ(音の動き)は、聴衆に語りかける音楽的資質の一部だとお考えですか?そして、音が、暗かろうと美しかろうと、最大限の美しさを備えていようと、もし生命感がなければ……。
MA:もしそれが一本調子であれば……。
HM:ほとんど機械のようになってしまいます。
MA:私はある生徒たちにこう言ったことがあります――「君の音は見事だ。では、ここから何をする?」
HM:こう言えるでしょうか――音の美学を導くのは、音楽そのものであるべきだ、と
3.2. 可変的な音質を探求する – Chercher une qualité modulable
MA:ええ、まったくその通りです!音の質についてはすでに話してきましたが、あなたがおっしゃった「変化させられる(modulable)」という点——それこそが重要なんです。声と同じですよ。たとえ歌っていなくても、こうしてあなたに話しているとき、私が熱を帯びてくると、声が変化するのが分かりますよね。それは当然のことです。クラリネットを吹くときも、まったく同じなんです。クラリネットでも、ほかの楽器でも!
※ 第4章「アンブシュア」は1月上旬に公開予定です。
原文:Michel Arrignon — Pédagogie de la clarinette(Cladid-Wiki / Haute École Spécialisée de Lucerne)
Hochschule Luzern-Musik, étude : “Clarinet Didactics”, auteur : Professeur Heinrich Mätzener
(ルツェルン応用科学芸術大学 音楽学部、研究テーマ:「クラリネット教授法」、執筆者:ハインリッヒ・メッツェナー教授)
執筆:Heinrich Mätzener(2018年5月4日/マント=ラ=ジョリー)
日本語訳・編集:ビュッフェ・クランポン・ジャパン
翻訳および公開は、Heinrich Mätzener 氏および Camille Arrignon 氏の許可に基づいています。
このページは 「ミシェル・アリニョン教授法 — クラリネット教育における哲学と実践」 シリーズの一部です。