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四人は、同じ道を通らない — アンシュ・アンテ四重奏団が語るクラリネット四重奏の本質

クラリネット四重奏は、四人がただ一つにそろうことで完成する音楽ではない。同じ方向を見据えながら、呼吸を受け渡し、主導権を瞬時に巡らせ、ときにわずかなずれさえ音楽の緊張へ変えていく — アンシュ・アンテ四重奏団の言葉からは、四本のクラリネットが一つの生きもののように動き出す瞬間が浮かび上がります。編曲作品への向き合い方、四つの楽器が担う役割、そして若い奏者へ託す室内楽の本質まで。彼らの演奏を支える思考の深部に迫りました。

同じ方向へ、同じ道ではなく

皆さんにとって、優れたクラリネット四重奏を成り立たせる核は何でしょうか。精度、呼吸、フレージング、音のバランス — その中でも、とりわけ大切にしているものを教えてください。

ニコラ・シャトゥラン(以下、二コラ) 私たち四人で少しずつ定義は違うと思いますが、私にとって特に大きいのは、やはり呼吸です。
ここでいう呼吸は、かなり広い意味での呼吸です。同じように感じるということではなく、感じ方はそれぞれ違っていても、互いに通じ合い、一緒に動けること。つまり、これは「動き」の問題なのだと思います。
たとえば、鳥の大群が飛ぶときのように。群れのどこかで一羽が動き出すと、全体が波のように形を変えていくでしょう。あのように、鳥の群れがざわめきながら一体となって、互いに呼応しながら動き続けることが大切なのです。

エリーズ・マール(以下、エリーズ) 全員が、同じ方向へ飛び立つことですね。

ニコラ そうです。呼吸が動きを生み出す。ただし、四人がまったく同じ呼吸をするわけではありません。一人ひとりがそれぞれの仕方で呼吸し、その一つひとつが新しい動きを連れてくるのです。

ベルトラン・ロード(以下、ベルトラン) 鳥の比喩を続けるなら、群れの中では、ある一羽が動きを始め、ほかの鳥ができるだけ同時にそれに続きます。そして次の瞬間には、別の一羽が少し先導することもある。
楽譜の中で、いま誰がその役割を担うべきかを見極めること。そして、一人ひとりが、ある瞬間には自分から何かを提案し、次の瞬間には即座に役割を変えて、誰かの提案に従い、リアルタイムで自分の役割を理解すること。そうした力が重要だと思います。

二コラ 私たちは全員、どこへ向かっているかはわかっています。ある地点から飛び立ち、目指す場所がある。その目的地は共有している。
でも、優れた四重奏とは、そこへ至る道筋を絶えず動かせるものです。同じ場所へ向かうことは共有していても、そこへ行く道は毎回同じではありません。昨日の大阪公演でこう進んだとしても、今日、東京公演ではまた別の進み方になるかもしれない。それでも四人が一体感を保ったまま、絶えず動き続ける。それが大切なのだと思います。

アンシュ・アンテ四重奏団(Quatuor Anches Hantées)
アンシュ・アンテ四重奏団(Quatuor Anches Hantées)は、クラリネット四重奏という編成の可能性を四半世紀にわたって育ててきた、フランスを代表するアンサンブルのひとつ。古典から現代作品、新作委嘱、独自編曲まで幅広いレパートリーを通じて、豊かな音色と高度なアンサンブルで国際的な評価を築いてきた。
写真左から:ニコラ・シャトゥラン氏(第1クラリネット)、サラ・ルフェーヴル氏(第2クラリネット)、ベルトラン・ロード氏(バセットホルン)、エリーズ・マール氏(バスクラリネット)

四人で演奏するうえで、必ず共有していなければならないものと、むしろ一人ひとりのままであるべきものは何でしょうか。

エリーズ リズムに対する捉え方、リズムの設計は、ある程度共有している必要があります。もちろん、まったく同じように吹かなければならない、という意味ではありません。お互いの考え方の違いを理解していることが大切です。
ただ、アンサンブルの中では、方向性だけでなく、どこに重心(appui)を置くかも重要です。そこが共有できていないと、先へ進めません。反対に、重心が共有できていれば、そこからそれぞれ別の方向を選ぶこともできるし、フレーズの考え方が少しずつ違っていても成立します。
その一方で、音色については、むしろそれぞれ違っている方が豊かだと思います。もちろん、一人ひとりに音色を変化させるパレットがあることが前提ですが、音そのものは違っていた方が面白い。私はそう感じます。

では、そうした共通の「重心」は、リハーサルのなかでどのように見いだしていくのですか。

エリーズ まずは、作曲家が書いたものをよりどころにします。そのうえで、どの重心が特に重要なのかを考える。何より、楽譜に忠実であることを確認する。それだけで、すでに大切な作業の大半はできていると思います。

ニコラ ただ、一度決めた重心が、そのまま固定されるわけではありません。音楽の中には多くの拍や重心があり、どれを選ぶかは変わり得る。難しいパッセージでは、「ここだけは必ず重心にしよう」と固定することもありますが、それ以外の場面では、「今はここに重心を置きたい」と示し合う。
そして、ときには意見が合わないこともある。誰かがより速い動きで次の重心へ向かったら、こちらもそちらへ行かざるを得ない。そういうこともあります。

エリーズ 議論になったときは、その瞬間には、いちばん説得力のある提案が最後に残る、という感じでしょうか。ただ、それも次のリハーサルでは変わることがあります。

ベルトラン 本番直前になって、「いつもこうしていたこの重心、実はフレーズはもっと先まで続いているのではないか」と気づくこともあります。作品の構造上、そうした重心を共有しておく必要がある場合や、技術的に難しく確かな目印が要る場合には、ある程度固定しますが、場面によっては、演奏ごとに変わることも少なくありません。

エリーズ 先ほどの「先頭を飛ぶ鳥」の話と同じです。「ここはベルトランが主導してくれるといいね」と決めることもあれば、次のリハーサルでは「ここはサラが主導した方がいい」となることもある。変わります。

サラ・ルフェーヴル(以下、サラ) ある提案が全員にとってしっくりこなかったり、少し行き過ぎていたりするなら、譲り合って少し形を変えます。作品の性格づけについても、そうして調整することがあります。

アンシュ・アンテ四重奏団(Quatuor Anches Hantées)
リハーサルでは、まず作品ごとの課題を見極めながら、音程、重心、フレージング、テンポを探っていく。四人が互いを聴き、各自が提案できる余白を感じられたとき、音楽はよい方向へ動き出すという。

正確さの先にある、緊張と解放

四重奏の演奏が、単に正確に整うだけではない豊かさを帯びるのは、どんな瞬間でしょうか。すべてがぴたりと噛み合ったときなのか、それとも、そこに緊張感や方向性、音楽としての説得力が生まれるときなのか。

ベルトラン そのすべてが同時にあるのだと思います。

ニコラ 「ぴたりと合っていること」は、長いあいだ私たちにとって一種の固定観念でした。そう教育されますし、音楽院でもそれを大切にする。それは一面では正しいのですが、しばしば、言いたいことを貧しくしてしまう。制約が多すぎるのです。
私が面白いと思うのは、むしろ完全には「はまっていない」瞬間です。たとえば、誰か一人があえて少し横へ踏み出す。ほかの三人はあえて定位置にとどまる。すると、そこに緊張が生まれる。聴衆も、「何かが起こりそうだ」と感じる。そして、また一緒に戻ってくる。
この緊張と弛緩の往復こそが、音楽なのだと思います。ゴムを引き伸ばして、また緩めるようなものですね。

ベルトラン そのことを強く実感したのは、最新アルバム《歌姫のいないオペラ 第2幕 — Opéra sans Diva, Acte II》を録音したときでした。芸術監督のフローラン・オリヴィエが、加速するときに全員が「一緒に」と互いを待ってしまうと、本当の加速にはならない、切迫感が生まれない、と話していたのです。
ある場面では、同じ場所へ一緒に着地できると互いを信じて、とにかく踏み出さなければならない、と。

ニコラ そう。少し前に出るくらいの気持ちで踏み出すと、全員がそこへ向かい、本当に加速が生まれる。もちろん、合っていることは土台です。
その土台を学んだうえで、あえてそこに逆らう瞬間をつくり、また一つに戻る。私は、音楽の核心は少なからずそこにあると思います。
オペラ歌手は、まさにそれがとても得意です。四分音符一つが、三小節ぶん続くように感じられることもある。オーケストラは少し巻き込まれながら進み、ふっと止まる。その瞬間、目の前に崖が現れたように感じる。落ちるのではないかと思うのに、実際には空中に留まり、最後に全員が静かに着地する。あの遊びは、本当に・・・

ベルトラン まさに、そこで演奏が音楽になるのです。

主導権は、一音ごとに巡る

指揮者のいない四重奏では、誰がどのように流れを生み出し、四人の意思を一つの音楽へまとめていくのでしょうか。

エリーズ うまくいっているときは、それが絶えず入れ替わっているときだと思います。主導権が、とても速く、とても細かく循環している。極端に言えば、一音ごとに変わるくらいです。
たとえば、私が各小節の第1拍を持ち、サラとベルトランがその間を埋め、ニコラがその上で歌っているとします。その場合、一人ひとりが自分の音を吹くたびに、そこから次の方向が生まれる。ニコラが私たちのリズムの隙間を縫うたびにも、また方向が生まれる。
つまり、うまく機能しているときは、四人全員が常に互いへ影響を与えているのです。逆にうまくいかないのは、誰か一人が突然、自分だけの世界に入ってしまい・・・

サラ つながりを失ってしまうときですね。

エリーズ そう、接続が切れてしまうときです。

アンシュ・アンテ四重奏団(Quatuor Anches Hantées)
練習中、作品の性格やアーティキュレーションは言葉で共有し、フレージングやインスピレーションは、歌い、吹き、身振りで伝える。必要に応じて録音も聴き返しながら、四人の感覚を丁寧にすり合わせている。

四つの声部がつくる、クラリネット四重奏の身体

ここからは、それぞれの楽器が四重奏のなかで担う役割について伺います。まず第1クラリネットから。最上声部を受け持つだけでなく、全体の方向や表情を形づくるうえで、どのような働きをしていると感じますか。

ニコラ 難しい質問ですね。いままで話してきた「四人が流動的に役割を交換する」という考え方と、少し矛盾するようにも聞こえるからです。自分の第1クラリネットだけが、ほかの誰よりも特別に何かをもたらす、と言い切るのは難しい。

エリーズ でも、私たちから見ると、違いはあります。私たちは全体を進ませる“エンジン”になることはできます。けれど、ニコラは、ある日はレーシングカーのようにもなれるし、別の日にはクラシックカーのようにもなれる。
同じ作品でも、「今日は追走劇ではなく、パレードのように進む日だな」と感じることがある。私たちはそれをすぐに察知します。

ニコラ 確かに、それは音色、音の色彩の問題だと思います。私のパートは、オーボエのような色へ寄せたり、サクソフォーンのような質感に変えたり、フルートのようにしたり、チェロのように歌ったり、音をあえて脆くしたりすることができる。そうした方向づけを、比較的しやすいのだと思います。

第2クラリネットは、四重奏のなかで、呼吸や音色、バランスの流れにどのように関わっているのでしょうか。

サラ 一言でいえば、「つなぐ役割」だと思います。私は、多くの場面で、低音と高音のあいだを結ぶ存在です。
それから、受け渡しの役割もとても多い。たとえば、ニコラが少し息を取る必要があるとき、私は旋律の一部をほんの少し引き継いで、その間を支えることができる。ときには私が旋律を担うこともあるので、固定したポジションではありません。

ニコラ 私にとって、第2クラリネットは四重奏の中心的な役割です。私が高音域で強く吹いているとき、低音側で何が起きているかが聴こえにくくなることがあります。そのとき、すぐ隣にいるサラの音はよく聴こえるし、サラは私よりも低音側をよく聴けている。
だから私にとって、サラは本当に「10番」のような存在です。サッカーで言えば、ゲームを組み立てる中心選手。高音域と低音域を結ぶ、要の存在です。まるでカメレオンのように、一方で低音側を見ながら、もう一方で第1クラリネットにも注意を向けている。

エリーズ そして「カメレオン」というのは、音色の意味でもそうです。サラは、さまざまな音の中に溶け込まなければならない。旋律を受け継ぐときには、ニコラの音色と本当に一体化する必要がありますし、その数秒後には、今度はこちらの伴奏のテクスチュアの中に入ってくる。そこでもまた溶け込む。

ベルトラン 第1と第2は、四人の中で唯一、同じ種類の楽器を持っています。だから、同じような旋律が二度現れたときに、ほぼ同じ旋律を、別の人格、別のフレージング、別の音色で提示できる。同じクラリネット同士で、応答や会話が生まれるのです。

アンシュ・アンテ四重奏団(Quatuor Anches Hantées)
インタビュー中も、互いの言葉に耳を傾け、自然に補い合う4人。発言量の違いを超えて、それぞれへの深い信頼と尊重、長年のアンサンブルが育んだ成熟した関係が伝わってきた。

バセットホルンは、この編成の響きや声部の組み立てに、どのような広がりをもたらしますか。

ベルトラン バセットホルンがあることで、低音を一時的に引き受け、バスクラリネットが歌えるようになります。これは、ソプラノクラリネット3本とバスクラリネット1本という編成では、なかなか難しいことです。
音色の面でも、ほかの楽器とはかなり異なるので、多くの色彩をもたらします。それから、バスクラリネットと私の二人で、低音の拍動、心臓の鼓動のようなものをつくる場面もあります。

エリーズ 私は、バセットホルンには、一段と暗く、少し賢者のような色があると思います。より落ち着いていて、クラリネットほどせわしなくなく、バスクラリネットほど強く色が立つわけでもない。そういう独特の佇まいがあります。

二コラ 先ほど私がサラを「いちばん大事」と言ったばかりですが(笑)、大まかに言うと、実は中声部こそがとても重要なのだと思います。ベルトランとエリーズは、やはり一緒に働いている。車で言えば、車体とタイヤをつなぐ部分のようなものです。

エリーズ 以前、ある弦楽四重奏団の人が、こんなたとえをしていました。「四重奏が上質なワインボトルだとしたら、チェロはボトルそのもの、第1ヴァイオリンはラベル、そして中声部はワインだ」と。私はとても美しい比喩だと思いました。

ベルトラン いい生産者ですね(笑)。

二コラ でも本当に、そういうことだと思います。ベルトランは、エリーズとほかの声部をつなぐ役でもある。やはり、要になるのはそのあたりなのです。

では、バスクラリネットは、四重奏の土台や和声の流れをどのように支えているのでしょうか。単に低音域を担う以上の役割があれば、教えてください。

エリーズ ある意味では、音楽の重心を見定める役割に近いのかもしれません。もちろん、それだけを担っているわけではありませんが、私のパートには、そうした役目がとても多いのです。
また、私の譜面には、曲の構造が比較的はっきり表れていることがあります。それを演奏を通してほかの三人に伝える。縦糸のような骨格を差し出し、そこに全員で布を織っていく ―― そんな役割に近いと思います。

ベルトラン リズムの推進力は、たいてい一人ではなく複数人でつくられます。
バスクラリネットが担う部分と、たとえば別の声部の裏拍が組み合わさって、はじめて推進力が生まれることが多い。
そして、和声において、低音の役割は決定的です。和音の音程を整え、その色を形づくるとき、低音の音色が大きく関わります。どのように音程を合わせるかによって、和音は緊張感を帯びたり、穏やかで包み込むようになったりする。
そしてそれは、エリーズが自分の音をどう響かせるかに強く左右される。彼女の音は、ほとんどの場合、和音の最も低い音ですから。
エリーズは、演奏会の最中でさえ、一つの和音の気分を決めることができる。同じ強弱でも、より断定的で前進的に響かせるのか、あるいは柔らかく包むように響かせるのか。音色だけで変えられる。
私たちは、しばしばエリーズの音色に寄り添いながら、音程を整え、全体の響きをつくっています。

アンシュ・アンテ四重奏団(Quatuor Anches Hantées)
作品の性格やアーティキュレーションは言葉で共有し、フレージングやインスピレーションは、歌い、吹き、身振りで伝える。必要に応じて録音も聴き返しながら、4人の感覚を丁寧にすり合わせている。

“Prestige”が与える、変化のための余白

現在、四重奏ではどの楽器を使い、それがアンサンブルのなかでどのような可能性を開いていると感じていますか。

ニコラ 私たちは全員、〈ビュッフェ・クランポン〉の“Prestige”(プレスティージュ)を吹いています。ほかのメーカーも試しましたが、それでも私たちが“Prestige”に落ち着いている理由は、この楽器がとてもよく鳴り、音が前へ届く。しかも、表現の幅を大きく残してくれるからです。ただし、小クラリネットだけは、私は“Tosca”(トスカ)を使っています。小クラリネットを吹く機会は比較的少ないので。
四重奏では、弦楽四重奏やオーケストラ作品のように、極めて繊細なピアニッシモを必要とすることがあります。一方で、ワーグナーのような、百人規模の大オーケストラを思わせる作品も演奏する。そうなると、音を大きく展開する力も必要です。
“Prestige”は、その両極の表現を受け止めるだけの大きな余地を持っています。そして、その余地があるからこそ、音色も思うままに変えられるのです。私にとっては、これほどの豊かさを持つモデルはほかにありません。その内側から、本当にさまざまなものを取り出せる。非常に大きな音色のパレットを与えてくれる楽器です。

サラ マウスピースやリードを替えなくても、です。

ニコラ そう、同じ楽器、同じセッティングのままで、演奏中にいくつものことができる。しかも、毎回同じではない。
先ほど、それぞれが自分の音を持っていると言いましたよね。サラと私も、同じ“Prestige”を吹いていても、音はそれぞれ違う。でも、ある瞬間には、誰が吹いているかわからないほど同じ音に出会えることがある。旋律を受け渡す瞬間に、ふっと同じ音色に重なり、二秒後にはまた違う音になる。私はそれが大好きです。

サラ 室内楽には、“Prestige”がとてもよく合うと思います。私は四重奏に入る前は“Festival”を吹いていましたが、入団してしばらくしてから、ニコラと音程の感覚をそろえる必要もあって、楽器を替えました。
オーケストラでは、音色の種類や、その豊かさに、四重奏ほど多くを求めるわけではありません。けれど私たちは、さまざまな楽器の役割を四人で引き受けます。だから“Prestige”の持つ音色の幅が必要なのです。

ベルトラン バセットホルンについて言えば、私は四重奏に入る前、それほど多く演奏したことがありませんでした。そもそも機会が少ない楽器ですから。モーツァルトの《レクイエム》やリヒャルト・シュトラウスの作品で吹くことはありましたが、その際はオーケストラが用意した古い楽器を使うことが多く、銘柄さえよくわからないものもありました。
四重奏団に加わったとき、団で〈ビュッフェ・クランポン〉のバセットホルンを購入しました。そこで初めて、本当の意味でバセットホルンという楽器に出会ったのです。「きちんと機能する楽器だ。ちゃんと鳴る。面白い」と感じました。

エリーズ バスクラリネットについても、私には同じことが言えます。私は音色を変えなければならない。音程をつくり、和音を響かせるためにも、倍音を豊かにしたり、逆に引いたりする必要があります。そうした操作が、自分にいちばん合うのは“Prestige”だと思っています。

ニコラ 私たちはクラリネット奏者であり、クラリネットを使っています。でも、私にとって“Prestige”は、「クラリネット奏者」であるだけでなく、「音楽家」であるための楽器です。ほかの楽器にもなれる。そういう可能性をくれるモデルなのです。

〈ビュッフェ・クランポン〉 “Prestige”は、E♭/ D/ B♭/A クラリネット、バセットクラリネット、アルトクラリネット、バセットホルン、バスクラリネットという幅広い音域が揃う。

原曲の本質へ向かう編曲、オペラを“裸”にする試み

もともと別の編成のために書かれた作品を演奏するとき、どの瞬間に、それが本当にクラリネット四重奏の作品として成立したと感じますか。原曲の何を守り、どこに新しい解釈の余地が生まれるのでしょうか。

エリーズ 編曲が難しいのは、旋律やリズムよりも、音色の遊びそのものが主役になっている作品です。あるいは、音色の組み合わせによって旋律やリズムが生まれているような作品。そういう場合、私たちは非常に苦労します。
また、ドビュッシーの作品などにある、音が空間の中を移り変わり、色彩が循環していくような書法も、同じようには実現できません。だから、はっきりとした旋律やリズムがある作品の方が、編曲しやすいのです。

ニコラ ストラヴィンスキーやリヒャルト・シュトラウスでも同じですね。特定の楽器をまさにそのために使い、異なる音色の組み合わせで新しい響きを生み出すような作曲家の場合、私たちはあるところで限界に達します。

エリーズ それでも、十年前には「絶対に演奏できない」と思っていた作品を、今では演奏し、きちんと成立していると確信していることもあります。時には、原曲の精神へ戻るために、作品からかなり遠く離れることを恐れてはいけない。原典の譜面にあまりにも密着しすぎると、かえってうまくいかないことがあるのです。

具体的な作品で思い浮かぶものはありますか。

ニコラ ファニー・メンデルスゾーンの弦楽四重奏曲です。最初、編曲者は原譜にかなり沿ったかたちで、いくつかの効果を変えたり、簡略化したり、削ったりしながら編曲してくれました。
でも、私たちが本当に納得できる形にたどり着くまでには二年かかりました。途中で何度もあきらめかけました。最終的には、ほとんど全面的に書き直すことになった。
最初はそこまで変える勇気がなかったのです。たとえば、トレモロの代わりに、作曲者が書いていない別の音を思い切って置くようなことまでしました。

ベルトラン 大切なのは、原曲の和声や精神といった作品の本質を保ちながら、私たちに実現可能な方法を見つけることです。

ニコラ ある作品がクラリネット四重奏として機能しているとわかるのは、その作品がもともと私たちのために書かれたものではない、ということを忘れたときです。「あの曲を演奏しよう」と自然に思えるようになる。そのとき、ようやく自分たちのものになったと感じます。
昔は、「それは弦楽四重奏のための作品なのだから、君たちが吹くべきではない」と言われることもありました。でも、そうした「演奏する権利があるかどうか「という議論を、自分たち自身が気にしなくなったとき、作品は本当に成立し始めるのだと思います。
オーケストラ作品を縮小するときには、失うものも多い。和声の音を削ることもあるし、声部そのものが足りなくなることもある。けれどその代わりに、柔軟さやルバートを得ることができる。
オーケストラには、どうしても大きな動きの重さがある。けれど私たちは四人なので、すばやく動き、テンポも変えられる。これは演奏水準の問題ではなく、編成の大きさの問題なのです。
ピアノ曲の場合は、逆に難しさがあります。ピアニスト一人が担っているものを四人で分けるのですから、アンサンブルとして整えるのは大変です。でも、その代わり、四つの考えを持てる。ピアニストは一羽の鳥として旅をするけれど、私たちは四羽で飛ぶ。周囲がよりよく見えるし、互いに巻き込まれていくことができます。

アンシュ・アンテ四重奏団(Quatuor Anches Hantées)
《Opéra sans Diva, Acte II》では、オペラの名場面をクラリネット四重奏の響きへと移し替え、その音楽そのものに新たな光を当てている。公演によっては一部の楽曲にダンスも加わり、音と身体が呼応する舞台として展開される。

《Opéra sans Diva》では、歌詞も舞台も、登場人物の姿も取り払われます。そのとき皆さんは、オペラから何を聴き取り、何を立ち上がらせようとしているのでしょうか。

ニコラ 私たちの発想は、むしろ逆です。舞台演出、衣装、歌手、舞台装置、つまり純粋な音楽以外に付随するすべてを、いったん忘れる。もちろん、テキストも物語も取り去る。全部はぎ取って、オペラを「裸」にするのです。
音楽だけが残ったとき、いったい何が残るのか。そこに興味がありました。

エリーズ モーツァルトには何が残るのか。マスネには何が残るのか。すべてをはぎ取ったあと、その音楽は何を語るのか。
ですから、「ここは歌手がこう語っている場面だから、こちらも絶対にそれを感じさせなければならない」と考えているわけではありません。むしろ、その音楽が、物語を知らない状態で私たちに何を語るのかを聴きたい。
聴く人も、それぞれ自分の物語を持つことができます。物語や舞台や人物像があらかじめ与えられる芸術は、現代にはたくさんあります。でも、ここでは音楽だけを差し出す。聴き手が、それぞれ自分の物語をつくる。私は、それが器楽音楽の素晴らしさだと思っています。

競争を手放し、互いに仕える

クラリネット四重奏は、ソリストとしての演奏やオーケストラとは異なるかたちで、奏者に何を学ばせてくれるのでしょうか。

ニコラ 私は、すべての人がまず室内楽から始めるべきだと思っています。音楽の目的は、誰かと一緒に演奏することです。一人で吹くことだけでは、あまり意味がない。誰かと一緒に演奏し、ほかの人を聴くことを学ぶ。そのために室内楽がある。

エリーズ そして、自分から提案することを学ぶ。

ニコラ そう。四人で演奏し、そこに指揮者がいない以上、何かを差し出さなければ音楽は動きません。クラリネット四重奏は、そうやって、自分たちの音楽的アイデンティティーを育てる場だと思います。しかもそれは固定されたものではなく、動き続けるアイデンティティーです。常に更新され、再発明されていく。
少なくともフランスでは、オーケストラの中でも、一人ひとりがソリストであることを強く求められ、「自分が、自分が」となりがちな文化がある。私は、それが音楽に逆行する面もあると思っています。だから、クラリネット四重奏は未来です。

ベルトラン もう一つ付け加えるなら、クラリネット四重奏ならではの学びがあります。オーケストラや木管五重奏では、クラリネットの役割はある程度決まっています。
けれど、クラリネット四重奏では、すべてがクラリネットで書かれ、しかも四人しかいない。そうなると、器楽的にも音楽的にも、ずっと遠くまで探しに行かなければならない。オーボエを思わせる音、フルートのように揺れる気配、ファゴットのような少しひょうきんな色合いまで、すべてクラリネットで見せようとする。一種類の楽器だけでそこまで探ることは、ほかの編成ではなかなか得られない経験です。

YouTubeチャンネル:Quatuor Anches Hantées
動画:Version longue : Giacomo Puccini, Manon Lescaut, Intermezzo de l’acte III – Quatuor Anches Hantées プッチーニ《マノン・レスコー》第3幕への間奏曲。

高いレベルで室内楽に取り組みたい若いクラリネット奏者に、今、最も伝えたいことは何ですか。

ベルトラン 私にとって、室内楽とは、音楽そのものです。もちろん音楽全般に通じることですが、室内楽では特に強く現れる。なぜなら、室内楽は何よりも「出会い」だからです。
会話によって人と出会うこともできるし、旅を通じて出会うこともできる。ほかにもさまざまな出会い方があります。でも、誰かと一緒に音楽をすることは、私にとって、ほかに代えがたい出会いの方法です。

ニコラ 私も、助言というより考え方ですが、すばらしいと思うのは、誰かに勝つために自分を「挑戦させる」のではなく、互いが互いの最良のものを引き出し、常に限界を少しずつ越えていけることです。
これは確かに挑戦で、疲れるし、消耗もします。けれど、それ以上に、深く自分を養ってくれる。だから、「諦めないでください」と伝えたい。
室内楽は、自分の中に、ほかでは得がたい何かを築いてくれます。一人でピアノと演奏する場合にも、似たものがあるかもしれませんし、オーケストラにももちろん別の価値があります。それでも、「私たちは一つのグループであり、その中で何かが築かれ、互いに養われていく」という感覚は、本当に特別です。

ベルトラン 少なくとも、室内楽の実践は、音楽を行ううえで本質的な部分だと思います。どのレベルであれ、そこを通らずにいるのは、本当にもったいない。

エリーズ 一つ挙げるなら、「謙虚さ」でしょうか。謙虚さがあるからこそ、前へ進めると思います。
少なくとも私たちが学んできた環境では、木管奏者は、自分のエゴを押し出す方向へ促される面がある。でも室内楽では、互いに仕え合うのです。四人で一つのものをつくる。
だから、室内楽の中に謙虚さがなければ、前へ進めない。進みようがないと思います。

ニコラ 助言として言うなら、「競争を手放すこと」です。

ありがとうございました。

アンシュ・アンテ四重奏団(Quatuor Anches Hantées)
2026年5月、来日中のアンシュ・アンテ四重奏団を迎え、音楽関係者を招いた特別演奏会をビュッフェ・クランポン・ジャパンのショールームで開催。終演後、温かな拍手に応える4人の姿からも、互いに呼吸を交わしながら音楽をつくる喜びが伝わってきた。

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