• 〈ビュッフェ・クランポン〉
この記事をシェアする
  • Facebook
  • X
  • LINE

古賀喜比古氏 インタビュー|オオサカ・シオン・ウインド・オーケストラ コンサートマスター

オオサカ・シオン・ウインド・オーケストラ コンサートマスターとして活動する一方、大阪音楽大学、徳島文理大学、大阪教育大学でも後進の指導にあたる古賀喜比古氏。学生時代から大切にしてきたのは、「自分で考えて表現する」という姿勢でした。ベルギー留学中には、「君はどう思うんだ」と繰り返し師に問いかけられたといいます。楽譜に書かれていないニュアンスをどう捉えるのか。指揮者の意図をコンサートマスターとして、どう奏者へ伝えるのか。クラリネットとの出会いから、留学経験、コンサートマスターとして大切にしている「聞く力」、さらに教育や楽器選びへの考えまで。古賀氏の音楽との向き合い方について伺いました。

解釈する力が、音楽を変える

「自分で考えて表現しなさい」という学び

― クラリネットを始められたきっかけを教えてください。

中学生のときに、友達と一緒に吹奏楽部に入ったのがきっかけです。最初は打楽器だったんですけど、途中で物足りなさを感じてしまって…、ちょうどクラリネットの人数が足りなかったので、顧問の先生に相談して、クラリネットに変わりました。
 

― そこから続けようと思われたきっかけは何だったのでしょうか。

はっきりとこれ、というものは難しいんですけど、中学生のときに市内の選抜バンドの講習会があって、そこで別の中学校の先生に「君は続けた方がいいよ」と声をかけていただいたことが、一つ大きかったと思います。
 
その後、のちに進学することになる高校の吹奏楽部顧問の先生が、当時通っていた中学校にレッスンに来てくださって、「うちに来ないか」と声をかけていただいたんです。当時、その高校の吹奏楽部は創設されたばかりで、とても勢いがあると感じていました。そうしたこともあって、顧問の先生にお声がけいただいたことをきっかけにその高校へ進学し、そのままクラリネットを続けることになりました。

古賀喜比古(こが・よしひこ)氏 プロフィール:ベルギー王立リエージュ音楽院 クラリネット科修了。ベルギーフランコフォン、北フランス主催のコンクールJmusicien にて優勝。ベルギー音楽院管弦楽団とモーツアルトのコンチェルトを共演。帰国後、日本演奏連盟主催によるクラリネットリサイタルをいずみホールにて行う。クラリネットを故岩尾眞治、福井聡、R.マレリス、JPプヴィヨン、金井信之の各氏に師事。 現在、オオサカ・シオン・ウインド・オーケストラ コンサートマスター、大阪音楽大学講師、徳島文理大学、大阪教育大学各非常勤講師。

― 学生時代の学びで、今につながっていると感じることはありますか。

当時レッスンを受けていた故・岩尾眞治氏は、とにかく「自分で考えて表現しなさい」とおっしゃる方でした。楽譜に書かれていないニュアンスについても、自分自身で考え、表現しなければいけなかったんです。
 
それをやらないと、当時はかなり厳しく指導されました。なので、知識が十分でなくても、とにかく自分なりに考えて表現するということをずっとやってきました。
 
単に楽譜を正確に吹くだけではなくて、「なぜこう吹くのか」「どういうニュアンスにしたいのか」を、自分で考えないといけなかったんです。それが、今でもすべてのベースになっていると思います。

「何でもいい」は通用しない ― ベルギー留学で学んだ自分の意見を持つこと

― 海外留学はどのような経緯で決断されたのでしょうか。

岩尾氏から高校生の時に、「日本の大学よりも君は海外に行った方がいい」と言われたことがきっかけです。自分の個性が、日本よりも海外の方が合っていると感じてくださったのだと思います。

 
― そこからベルギー王立リエージュ音楽院に進まれた経緯を教えてください。

最初はパリに留学しようと思っていて、20歳のときにパリ国立高等音楽院を受験しました。そのときの審査員はジャック・ランスロ氏でした。
 
二次試験の実技試験で、フランス語の解釈のちょっとした行き違いがあり、受験曲を間違えてしまって、結果的に試験を通過することができなかったんです。それが一つの転機になりました。
 
試験後、当時日本ではなかなか手に入らなかったクラリネットのCDや楽譜をパリの8区にあるローム通りでたくさん買って帰り、帰国後に聴いていたんです。その中に現代曲の作品集があって、「クラリネットでこんな表現ができるんだ」と強い衝撃を受けました。それまで自分が持っていたクラリネットのイメージとはかなり違っていて、「こんな音や表現までできるんだ」と思いました。
 
そこから、「こういうことを学べる先生はいないか」と探して、ベルギー王立リエージュ音楽院で教えられていたジャン=ピエール・プヴィヨン氏にたどり着いた、という流れです。


― 留学までの過程は、かなり主体的に道を切り開いていらっしゃいますね。

そうですね。当時は今のように情報も多くなかったので、自分で探すしかなかったというのもあります。日本で楽器店に行って、リエージュ音楽院に留学している方を紹介してもらったり、それですぐにその方に電話をかけたり、そういうことを一つ一つ積み重ねていきました。
 
今みたいにインターネットですぐに情報が出てくる時代ではなかったので、本当に人づてで探していく感じでした。結果的に、そのプロセス自体が自分の基礎になっていると思います。
 

― 実際に留学して、最も印象的だったことは何でしょうか。

一番大きかったのは、「自分の意見を持つこと」の重要性ですね。
 
日本だと日常の何気ない会話で「何でもいいです」と言うことがありますけど、向こうではそれが通用しなくて、「君はどう思うんだ」とはっきり求められました。
 
レッスンも、プヴィオン先生が一方的に教えるのではなく、「どうしたい?」と常に聞かれて、そこからディスカッションが始まるんです。なので、自分が何をしたいのか、自分はどう感じているのかを、常に考える必要がありました。
 
その経験は、今自分が教える立場になったときにも大きく影響していると思います。学生に対しても、単に答えを渡すというよりは、「自分はどうしたいと思っているの?」ということを、なるべく考えてもらうようにしています。
 
あと、ベルギーでは学生証があると演奏会を無料で聴くことができ、ザビーネ・マイヤー氏や、指揮者のピエール・ブーレーズ氏といった著名な音楽家の公演にも気軽に足を運ぶことができました。さらに、多くの著名な方々による講習会も身近にあり、そのような貴重な経験を数多く重ねることができました。

ベルギー留学時代、室内楽の本番での一枚

コンサートマスターとして大切にしている「聞く力」

― 現在、オオサカ・シオン・ウインド・オーケストラでコンサートマスターを務めていらっしゃいますが、音楽づくりにおいて大切にされていることは何でしょうか。

コンサートマスターは、指揮者の意図と奏者をつなぐことが役割だと思っているので、自分の意見を強く出すというよりは、指揮者が何を求めているのかを理解して、それをどう共有するかを考えます。
 
もちろん、自分の考えがまったくないわけではないですけど、それを押し通すというよりは、全体がどうまとまるかを考えることの方が大きいですね。

 
― その中で、周囲との関わり方で意識されていることはありますか。

うまくいかない場面があったときに、まず自分から意見を言うのではなく、「どう思う?」と相手に聞くようにしています。先に自分の意見を言ってしまうと、それに同意されて終わってしまうこともあるので。
 
まず相手の考えを聞いて、それと自分の意見をすり合わせていく。そういう進め方を意識しています。留学中に「まず自分の意見を持つこと」をかなり求められていたので、その影響は大きいと思います。

2023年に米国・シカゴで開催されたミッドウエスト・クリニックにて、指揮者の故・秋山和慶氏と握手を交わす古賀氏

情報が多い時代だからこそ、受け身ではなく、自ら探しに行く力

― 教育者として、学生に伝えたいことは何でしょうか。

今は情報が簡単に手に入る時代になっている分、逆に自分から探しに行く力が弱くなっていると感じます。わからないことがあれば、すぐに誰かに聞けばいいという姿勢になりがちですけど、自分で興味を持って探しに行くことが大切だと思います。
 
演奏会一つとっても、自分から「これを聴きたい」と動く学生は少なくなっている印象があります。昔は情報が少なかったので、自分で探しに行かないと何も見つからなかった。でも、その過程で身につく感覚もあると思うんです。だから、便利になった時代だからこそ、自分で興味を持って動くことは大事だと思います。


― 学生に勧めている学び方はありますか。

作曲家についての本を読むことを勧めています。例えばブラームスであれば、手紙や逸話が多く残っていて、それを読むことで、楽譜に書かれている記号の意味がより具体的に見えてきます。
 
単に「フォルテだから大きく吹く」ということではなくて、「なぜここでこういう指示を書いたのか」が少しずつ見えてくるんです。そうした背景を知ることで、自分の演奏に説得力が生まれると思います。楽譜だけを見ているとわからないことも、作曲家自身の言葉や時代背景を知ることで、かなり変わってくると思います。

留学から帰国後、日本でリサイタルを開催した際のお写真。留学を決めた当時は現在のようにインターネットが普及しておらず、自ら積極的に情報を得る必要があった。

音は「息」で変わる

― 技術面で、特に重要だと感じていることはありますか。

一番はやはり「息」ですね。一流のプレイヤーは、例外なく息の使い方が非常にうまいと思います。ブレスや息の流れをどうコントロールするかで、音は大きく変わります。
 
音色だけでなく、フレーズ感や音楽の流れも含めて、息の使い方が大きく関わっていると感じています。私自身も、御社が公開されていたミシェル・アリニョン氏の呼吸法に関する記事を読んだことで、改めて「息」について深く考えるようになりました。この記事を読んだ後は、楽器の鳴り方まで変わるほど衝撃を受けて、生徒たちにも春休みの課題としてそのリンクを共有し、読んだ上で考えてもらうようにしたほどです。
 
指の技術より先に、まずどう息を流すのかを考えないと、なかなか音楽として成立しない部分があると思うので、今は学生にも、息の使い方についてはしっかり考えるように伝えています。

楽器に求めるのはキャパシティと操作性

― 現在使用されている楽器と、選ばれた理由を教えてください。

今は〈ビュッフェ・クランポン〉の “Vintage(ヴィンテージ)” (※生産完了)を使っています。生産が終わる1年前に購入しました。“ヴィンテージ” の前は “Tosca(トスカ)” のグリーンラインを長く使用していましたが、木製楽器にも興味があり、たまたま “ヴィンテージ” を使用している友人がオオサカ・シオン・ウインド・オーケストラにエキストラで来ていた際に、試しに吹かせてもらったところ、とても大きな衝撃を受けました。そして、その日のうちに御社へ楽器の取り寄せをお願いしました。
 
ベルギー人の著名な奏者であるヴァルター・ブイケンス氏が “ヴィンテージ” を吹かれていたので、ベルギーに留学されていた方はあこがれる楽器だと思います。
 
最近、“Festival(フェスティバル)” がリニューアルされて、すごくいいなと思っているので、近々 “フェスティバル” を買おうかなとは思っています。
 
― 楽器選びで重視されている点は何でしょうか。

音色よりも、まず楽器のキャパシティと操作性を重視しています。どこまで音量が出せるか、息がスムーズに通るか、タンギングがしやすいか、ピッチが取りやすいか。そういった部分です。
 
音色はリードやマウスピースで変わる要素が大きいので、そこを基準にしてしまうと、後でズレが出てくる可能性があると思っています。逆に、楽器そのもののキャパシティや吹奏感は後から変えにくいので、そこをかなり重視しています。

2026年1月にリニューアルされた “フェスティバル” については、二コラ・バルディルー氏との開発の中で、「ここがこうなったらいいな」と感じていた点が実際に楽器へ反映されていて、すごいと思ったと語る古賀氏。

これまでとは違う表現への挑戦

― 今後取り組みたい活動について教えてください。

これまでは吹奏楽やオーケストラでの活動が中心でしたが、今後はソロにも取り組んでいきたいと考えています。
 
すでにコンチェルトの機会も少しずついただいているので、これまであまりできなかったことにも挑戦していきたいですね。アンサンブルや吹奏楽の中で培ってきたものを、ソロの場面でどう表現できるのかということにも興味があります。
 
― 最後に、200周年を迎えた〈ビュッフェ・クランポン〉へメッセージをいただけますでしょうか。

200周年、本当におめでとうございます。これだけ長く続いているのは、プレイヤーがその楽器を選び続けてきたからだと思いますし、その期待に応えて楽器が進化し続けてきた結果だと思います。
 
プレイヤー側も時代によって求めるものが変わっていくと思いますが、それに応じて楽器も進化してきたからこそ、ここまで続いているのだと思います。これからも、プレイヤーとともに進化し続けるブランドであってほしいと思います。
 
 
ありがとうございました。

この記事をシェアする
  • Facebook
  • X
  • LINE
Page Up