• 〈ビュッフェ・クランポン〉
この記事をシェアする
  • Facebook
  • X
  • LINE

箱﨑由衣氏・岡村理恵氏|クラリネットで、次の世代に夢と希望を――二人の歩みと「全力カンパニー」

中学校の吹奏楽部でクラリネットと出会い、演奏家、教育者としてそれぞれの道を歩んできた岡村理恵氏と箱﨑由衣氏。二人に共通するのは、クラリネットへの揺るぎない愛情と、音楽を通して自分の思いを人に届けようとする姿勢です。

現在は、二人で株式会社全力カンパニーを設立。演奏だけでなく、企画、教育、発信までを自ら手がけながら、クラリネットとクラシック音楽の可能性を、より広い社会へ届けようとしています。二人はどのようにクラリネットと出会い、それぞれの音楽を築いてきたのでしょうか。その歩みと、次の世代に託す思いを伺いました。

ピアノではなく、クラリネットを選んだ日

まず、お二人にとって、クラリネットはどのような存在でしょうか。

岡村理恵氏(以下、岡村): もう生活の一部で、欠かせないものですね。私にとっては、自分が感動するためのものでもあります。クラリネットを吹くことで気持ちが動き、その感動が次の音楽をつくってくれる。そういう存在だと思います。

箱﨑由衣氏(以下、箱): 私は、言葉よりも自分を外へ表現できるものだと、クラリネットと出会った頃から感じています。自分の思いを人に届けてくれる、一番の相棒です。

クラリネットを始めたきっかけを教えてください。

岡村: 中学校の吹奏楽部です。私は最初からクラリネットでした。幼い頃からピアノを習っていたのですが、クラリネットは初めて吹いたときから音が出て、すぐに夢中になりました。

私も中学校の吹奏楽部ですが、最初、テナーサックスだったんです。クラリネットの人数が足りなくなり、「そちらへ行って」と言われて移りました。でも吹いてみたら、すぐに惹かれてしまって。今振り返ると、あれは運命の出会いだったと思います。

クラリネットを専門に学ぼうと決められたきっかけはありましたか。

岡村: きっかけというより、最初に音を出した瞬間から、ほとんどの音が出たんです。ピアノよりも楽に演奏できるように感じて、すぐに夢中になりました。何の迷いもなく、そのままずっと突き進んできた感覚です。

中学3年生で進路を決める頃、私は音楽高校へ行きたいと思っていました。親からは、長く続けてきたピアノで進むことを勧められていたのですが、私はどうしてもクラリネットで行きたかったんです。そこで、「ソロコンテストで賞を取ることができたら、クラリネットで進んでもよい」と言われ、実際に賞を取って帰りました。

私も、本当に迷ったことがないんです。クラリネットをやらないという選択肢が、むしろありませんでした。

親はピアノで音楽高校へ進んでほしいと思っていました。でも、私はクラリネットが大好きで、ピアノで進むことは考えられませんでした。中学3年生のとき、初めて親と大きな喧嘩をしました。自分の意思で親の敷いたレールから外れ、自分の人生を決めた最初の瞬間だったと思います。

写真左から:岡村理恵氏、箱﨑由衣氏。
ピアノではなくクラリネットを選んだ中学3年生の進路だけでなく、後年、オーケストラを離れる決断もほぼ同じ時期だったという二人。取材を通して、別々に歩んできた音楽人生に、いくつもの共通する転機があったことが明らかになった。

それぞれの場所で育てた音楽

岡村さんは、東京藝術大学と桐朋オーケストラ・アカデミーで、どのようなことを学ばれましたか。

岡村: 東京藝術大学では、素晴らしい仲間たちに導かれ、音楽の深さを知りました。私はそれまで感覚的に吹いていたところが大きかったのですが、周囲の人たちが、知らなかったことや新しい世界をたくさん見せてくれました。

桐朋オーケストラ・アカデミーでは、オーケストラの仕事がどれほど難しく、繊細なものなのかを肌で感じました。感覚だけでなく理論も含めて学んだ経験が、現在の指導に生きています。

アイリス クラリネット カルテットをはじめ、オーケストラ、室内楽、教育、企画と幅広く活動されています。ご自身の中では、どのようにつながっていますか。

岡村: 私の中では、すべて一本につながっています。演奏することも、教えることも、企画や運営をすることも、根底にあるのは、人と人をつなぎたい、自分が感動したことを誰かと共有したいという思いです。

中学生の頃、クラリネットを吹くと自分が感動できると感じていました。年齢を重ねるにつれて、「どうしたら感動が生まれるのか」「どうしたらこの感動を人と共有できるのか」と考えるようになりました。アイリスでも、「クラリネットの輪を広げる」という思いを大切に活動しています。

さんは、第30回日本管打楽器コンクールでの第1位をはじめ、一連の受賞を、ご自身ではどのように受け止めていますか。

受賞できたことは、本当に運が良かったと思っています。ただ、それによって自分の意識が大きく変わったという感覚はありませんでした。受賞する前も後も、私は私で、ただクラリネットに向き合っていました。

2012年から2024年まで在籍したセントラル愛知交響楽団では、どのようなことを学ばれましたか。

オーケストラでは、周囲の音を聴き、皆で一つの響きを目指すことを学びました。入団するとき、松本健司先生から「箱﨑さんの音色で、セントラル愛知の音を変えてください」と言っていただいたんです。

その言葉から始まったので、クラリネットの音色は、オーケストラ全体の響きを変えるほど大きな役割を担っているのだと意識するようになりました。音は周囲へ伝わり、互いに影響し合い、響き合うものだと感じています。

ドイツでの学びで、特に印象に残っていることを教えてください。

ドイツで最も感動したのは、皆が何にも縛られずにクラリネットと向き合っていたことです。先生が「このリードはこうだと思う」と言えば、生徒が「私はそう思わない」と返す。普通に喧嘩をするくらい(笑)、音楽の前では対等に議論していました。私も、生徒が自分の考えを率直に話せる関係を大切にしたいと思っています。

オーケストラにいた頃は、「こうでなければならない」と考えることがたくさんありました。そこを離れて活動の幅を広げてみると、クラリネットはもっと自由で、もっと多くの可能性を持つ楽器なのだと、あらためて感じています。

箱﨑由衣
箱﨑由衣(はこざき・ゆい)氏 プロフィール|東京音楽大学卒業。第30回日本管打楽器コンクール第1位、特別大賞、内閣総理大臣賞などを受賞。NHK交響楽団「N響アカデミー」を経て、2012年から2024年までセントラル愛知交響楽団1stクラリネット奏者を務める。ドイツ・ハンブルクでの研鑽を重ね、現在は演奏活動と後進の指導に携わるとともに、株式会社全力カンパニー代表取締役として、クラシック音楽の新しい届け方とクラリネット奏者の可能性を広げている。

「何を、誰に伝えたいのか」

お二人は、どのようなクラリネットの音に惹かれますか。

岡村: つくり込んだ音というより、楽器が本来持っている自然な木の響きが好きです。

私も、木のナチュラルな響きに惹かれます。音色は、どんな音を出したいかというイメージから生まれると思っています。

岡村さんは、指導する際に何を大切にされていますか。

岡村: テクニックはもちろん必要ですが、それ以上に、自分の気持ちを自分で伝えられるようになってほしいと思っています。レッスンでは、必ず「ここはどう歌いたい?」と聞くようにしています。

私自身、がんじがらめにされると全然できなくなってしまうと実感したことがあるんです。だから、同じ曲を学んでも、誰もが同じ色の演奏になるのではなく、その人自身の色が出てほしい。私のもとを離れた後も、自分で考えて表現できるようになってほしいと思っています。「自分はどんな人間なのか」「なぜ演奏したいのか」「何を、誰に伝えたいのか」といったことを、一緒に言葉にしていきます。

これまで、思うような演奏ができない時期をどのように乗り越えてきましたか。

岡村: 自分の心を置き去りにして突っ走っていたときには、何度も壁にぶつかりました。でも、そこで「自分はどうしたいのか」「どんな音楽をつくりたいのか」と問い直したことで、少しずつ自由になれたと思います。

私も、伸び悩んでいる最中は先が見えませんでした。最初は、つらいということ自体に蓋をしていたんです。でも、自分の苦しさを認め、本当はどんな音楽をしたいのかを考えることで、少しずつ抜け出すことができました。

〈ビュッフェ・クランポン〉と、自分の声

〈ビュッフェ・クランポン〉のクラリネットとの最初の出会いを教えてください。

岡村: 中学1年生のときです。学校の備品が“R13”でした。初めて吹いたときから音が出て、とても吹きやすく、豊かな音のする本当によい楽器だと感じました。もしかすると、最初にその楽器に出会えたから、すぐに音が出たのかもしれません。

私は、最初に自分の楽器を買ってもらったときから〈ビュッフェ・クランポン〉でした。とてもきらきらした音に感じられて、すぐに好きになりました。今だからこそ、最初に〈ビュッフェ・クランポン〉と出会っていなかったら、ここまでクラリネットに夢中になっていなかったかもしれないと思います。

現在お使いの楽器と、楽器選びで大切にしていることを教えてください。

岡村: 長く“R13”を使い、“Tosca”を経て、現在は“Légende”を使っています。“Légende”は身動きが軽く、音に芯がありながら華やかさもあるところが気に入っています。

私もいくつかのモデルを経て、現在は“Divine”を使っています。身動きが取りやすく、自分にとって音がまとまりやすいところが気に入っています。

岡村: 楽器を選ぶときには、評判だけでなく、本当にその人に合った、無理をしなくてもよいものを選んでほしいです。

岡村理恵
岡村理恵(おかむら・りえ)氏 プロフィール|東京藝術大学音楽学部器楽科卒業、桐朋オーケストラ・アカデミー研修課程修了。2008年から2022年までセントラル愛知交響楽団契約団員を務める。現在は名古屋音楽大学、金城学院大学などで後進を指導するほか、アイリス クラリネット カルテット、アロムジカ音楽教室代表として活動。株式会社全力カンパニー代表取締役。演奏、教育、企画を横断しながら、クラリネットを通して人と人をつなぎ、その輪を広げる活動に取り組んでいる。

違和感がない――二人のアンサンブル

お二人は、どのように出会ったのでしょうか。

岡村: 箱﨑さんが入団した頃の、歓迎会か何かの席だったと思います。最初は「自由そうな人が来たな」と思いました(笑)。演奏を聴くと、とても上手で、自分を持った演奏をする人でした。

私は入団前に、伊藤圭先生から冗談で「すごく怖い人がいるからね」と聞かされていたんです(笑)。でも実際に一緒に演奏してみると、とてもよい音で、優しい音楽をする人だと思いました。

お二人で演奏するとき、音楽はどのようにつくられていくのでしょうか。

岡村さんと演奏するときは、何かを決めてつくろうと思ったことがないんです。あまりにも自然に音楽が進むので、役割分担を意識したこともありません。

岡村: 私は箱﨑さんと吹くと、自分まで上手になったように感じるんです。一人で吹いているときから、違和感なく二人の音楽になるというのは簡単なことではありません。もともと互いへの尊敬があり、相手の魅力が一番よく出るように吹きたいと思っているから、自然に合うのでしょうね。

似ているところはありますか。

岡村: 行動派というところですね。

“過激派”とも言えます(笑)。

岡村: 二人とも、何かを決めたら行動する。ゼロか100かというところは、よく似ています。

クラリネットを仕事にできる未来へ

それぞれ演奏家、教育者として活動する中で、なぜあらためて「全力カンパニー」という形を選ばれたのでしょうか。

「若い世代に、クラシック音楽で夢と希望を届ける」というのが、私たちの理念です。これまで、クラリネット奏者を目指すなら、オーケストラ奏者になることがほとんど唯一の道のように考えられてきました。その世界を変えたいと思いました。

岡村: 私は音楽大学で教えている中で、「ぜひ音大へ進んでほしい」と思うほど熱心で上手な生徒に出会っても、心の底から進学を勧められないことがありました。自分自身、音楽の道の厳しさを感じてきたからです。

でも、クラリネットに関わる仕事が増え、クラリネット奏者の裾野が広がっていけば、迷わず好きなことに挑戦できる人も増えると思うんです。そういう社会をつくりたい。思っているだけでは変わらないので、まず自分たちが動いてみようと考えました。

「全力」という名前には、どのような思いを込めていますか。

会社を始める少し前に、「本当に自分がやりたいことをやって生きてきたのか」「これが自分の目指したい夢なのか」と、自分に問い直す時期があったんです。そのとき、そういえば自分には夢があった、と思い出しました。それなら、もう人生をそちらに全振りしよう、全部をかけよう。それが、私にとっての「全力」でした。

岡村: ちょうど同じ頃、私も自分の人生や、これから本当にやりたいことを考えていました。

似たようなタイミングで、同じ方向を向いていた二人が響き合って、会社を設立することになったんです。二人とも、ゼロか100かという性格なんです。やると決めたのに、やり切らないことが一番つらい。

岡村: やるなら、本気でやろう。全力でやろう。そのままの名前です。

会社としてコンサートをつくるなかで、あらためて気づいたことはありますか。

岡村: 以前は会場へ行けば椅子が用意され、演奏に集中できました。今は営業や企画、広報、会場との調整、舞台設営まで自分たちで行っています。一つのコンサートが成り立つまでに、どれほど多くの仕事と人の支えがあるのかを知り、周囲への感謝が深まりました。

動画|クラリネット全力チャンネル始動!

岡村理恵氏と箱﨑由衣氏による演奏を、動画でご覧ください。


音楽の質を下げず、入口を広げる

クラシック音楽を、これまで接点のなかった方々へ届けるために、大切にしていることは何ですか。

クラシック音楽は、苦しいときや不安なときにも、人の心に寄り添い、助けになってくれるものだと思っています。だから、まだクラシックを知らない方にも、もっと気軽にコンサートへ来ていただきたいんです。

岡村: 基本にあるのは、クラシックの名曲をきちんとお届けすることです。楽な方へ逃げず、演奏では妥協しない。そのうえで、多くの方に届くための工夫をしたいと思っています。

タップダンスをしながらクラリネットを吹くこともありますが、それも演奏の質を落とすためではなく、音楽にもう一つ楽しさを加えるためです。

岡村: 最初は、一般の方に届けるためには内容を変えた方がよいと思っていました。でも、いろいろ試した結果、「一般の方向けだから」と音楽を分かりやすく薄めようとしていた自分たちに気づきました。今は、相手によって音楽の質を変えず、本当によいものを届けたいと思っています。

子どもや親子連れのコンサートでは、どのような瞬間に「届いた」と感じますか。

子どもが音楽に合わせて踊ってくれて、その姿を見たお母さんが笑顔になっている。そういう光景を見ると、その場で気持ちに届いたと感じます。

全力カンパニーでは、ほかにどのような活動を展開されていますか。

岡村: 定期公演のほか、月に一度、ベイビー・キッズコンサートを開催しています。また、「全力クラリネット研究部」では、オーディションでメンバーを募り、一年間かけてアンサンブルを学び、コンクールでの入賞を目指しています。

「クラキリン」という、クラリネットをモチーフにしたキリンのオリジナルキャラクターもいます。タップダンスも含めて、興味を持っていただくための入口はいろいろつくりたい。でも、その先で届ける音楽は、本気で取り組んだクラシックでありたいと思っています。

2026年8月2日発売の初のCD『tribute』では、どのような思いで選曲されましたか。

ラフマニノフの《交響曲第2番》第3楽章には、クラリネットの旋律として特に有名で美しいメロディーがあります。クラリネットの魅力を紹介するうえで、ぜひ取り上げたいと思いました。

岡村: 『tribute』には、原曲や作曲家への敬意という意味があります。新しい編成で演奏するときにも、作品への尊敬をすべての根底に置き、決して忘れたくないと思っています。

クラリネットとエレクトーンという編成を、実際に演奏してどのように感じていますか。

エレクトーン一台から、フルオーケストラのような音が生まれます。クラリネットの機動性ともよく合い、クラシックの名曲に新しい表情が生まれると感じています。

「無謀だと言われても挑戦したい。クラシックでオリコンへ。」という目標を掲げた理由を教えてください。

全力でやるからには、目標は一位です。それが一番分かりやすいと思いました。

岡村: ただ一位になりたいのではなく、クラリネットでもこういうことができると、一般の方々、とりわけ次の世代に知ってもらいたいんです。
私たちには、「なりたい職業ランキング」にクラリネット奏者が入ってほしいという目標があります。子どもたちがクラリネット奏者という仕事を知り、「自分もなりたい」と思えるようになってほしい。オリコンへの挑戦も、そのための道の途中にある目標です。

動画|CD収録曲「tribute」

全力カンパニーによる演奏を、ミュージックビデオとともにご覧ください。

次の世代へ、夢と希望を

全力カンパニーの活動は、お二人の音楽人生にとって、どのような意味を持っていますか。

私にとっては、これまで抱いてきた夢に嘘をつかずに生きるための形です。以前は、「オーケストラ奏者でなければならない」と、自分の中で勝手に道を狭くしていました。今はそこから離れ、自分が本当にやりたかったことに取り組んでいます。

岡村: 私にとっては、次の世代が歩ける道をつくるためのライフワークです。クラリネットに関わる仕事や、音楽を届ける方法を少しずつ増やすことができれば、これまでになかった道が生まれるかもしれません。

最後に、これからクラリネットを学ぶ若い人たちへ、伝えたいことをお聞かせください。

クラリネットは、とても楽しいものです。私自身がこの楽器にのめり込むきっかけの一つになったのが、ミシェル・アリニョン氏が演奏するモーツァルトの《クラリネット協奏曲》第2楽章でした。聴いたとき、涙が止まらなくなり、音楽から夢と希望をもらいました。

今度は自分が、クラリネットを通して誰かに夢と希望を届けたい。若い皆さんにも、夢や希望を持って、クラリネットと一緒に歩んでいってほしいです。

岡村: 何かに夢中になり、打ち込むことができるのは、とても大きな喜びです。「クラリネットだから仕事にするのは難しい」と、最初から諦めることがないようにしてほしい。好きなことに向かう皆さんと、私たちも一緒に頑張っていきたいと思います。

ありがとうございました。

この記事をシェアする
  • Facebook
  • X
  • LINE
Page Up