歴史が証すフランスの系譜 — 現代トランペットの根にあるもの
現代のトランペットは、どの国の奏者にとっても身近な存在ですが、その原点には、20世紀初頭にフランスで誕生した小型のCトランペット(C管=運指はB♭管と同じで、実音が全音高く出る調性)と、その音を前提に書かれたレパートリーが深く関わっています。こうした歴史は、現在私たちが「当たり前」と感じている音の感覚や奏法の前提を、あらためて問い直す視点を与えてくれます。
アドリアン・ジャミネ氏 インタビュー・シリーズ(全5章)の第4章となる本稿では、アドリアン・ジャミネ氏が語るフレンチトランペットの歴史的背景を辿りながら、今日の奏法・設計に受け継がれるフランスの系譜を探ります。
世界を形づくったフランスの響き — 現代トランペットの源流
現代トランペットの姿を考えるとき、フランスが果たしてきた役割をどのように捉えていらっしゃいますか。
多くの人が「トランペット」と聞いてまず思い浮かべるのはアメリカかもしれません。
ジャズの影響、そして第2次世界大戦後に世界的に注目を集めたオーケストラの多くがアメリカにあったことがその背景でしょう。
しかし重要なのは、アメリカのオーケストラが形成される過程で各国から「最良のものを集めた」という事実です。
その中にはフランス人トランペット奏者たちも含まれ、彼らが選んだ楽器こそ Cトランペットでした。
このCトランペットは1905年にフランスで誕生し、アメリカで大きく発展していきます。
ただし、20世紀初頭に用いられていたCトランペットは、現在一般的に想像されるものよりもはるかにコンパクトな楽器でした。
一方、フランス国内では一時期、トランペット製作が途絶えた時期もありました。
しかし、私が取り組んでいるのは、まさにこの「製作の復活」です。
ただ、決して失われなかったものがあります。
フランスでは教育の現場でCトランペットが重視され、卒業試験のために毎年レパートリーが受け継がれてきました。
作曲家たちは、当時用いられていたトランペットの音やサイズを前提に作品を書き、その積み重ねが今日まで続いています。
こうした教育とレパートリーの連続性こそが、フランス金管楽器の華やかなスタイル、すなわちフランス学派のトランペット(音色観・発音・フレージングなどを含む、教育と奏法の系譜)を支えてきた土台だと言えるでしょう。
その流れを現在に示す存在として挙げられるのが、ロバン・パイエです。
ARDミュンヘン国際音楽コンクールのトランペット部門は1940年代から続く歴史あるコンクールですが、これまでの優勝者5人のうち3人がフランス人奏者です。モーリス・アンドレ、ダヴィッド・ゲリエ、そしてロバン・パイエ — 彼らの存在は、フランスにおいて教育と奏法の系譜が、現在も継続して受け継がれていることを示す一例と言えるでしょう。
ピストンからCトランペットへ — 世界を変えたフランスの発明
現代トランペットの姿を規定したフランスの革新には、どのようなものがありますか。
まず、Cトランペット以前に極めて重要な革新があります。
それは ペリネ式ピストン(現代のトランペットで標準的な3ピストン機構の原型)です。
1830年前後、パリでペリネ氏(Etienne Francois PERINET, 1805-1861)によって発明され、これは現在世界中のメーカーが採用するシステムとなりました。最大のフランスの革新と言ってよいでしょう。
19世紀末までは、トランペットには多様なシステムが併存していました。しかし最終的に選ばれたのがCトランペットです。その後、このCトランペットを基にBbトランペットが派生しましたが、基本構造は同じでした。
世界中で演奏されているトランペットの原型は、まさにこの時期に確立されたのです。
フランス学派の形成においては、演奏と製作が密接に結びついていました。ジャン=バティスト・アルバン(Jean-Baptiste Arban, 1825-1889)は、その象徴的な存在です。彼の教則本は現在もなお、トランペット奏者にとって重要な基準であり、楽器製作の革新が進んだ時代を生きた人物でもありました。
また、アルバンの弟子であり、パリ音楽院の教授でもあったメリ・フランカン(Merri Franquin, 1848-1934)は、Cトランペットの導入を通じてレパートリーを大きく拡張し、現代トランペットのフランス学派の礎を築いた存在と考えられています。
私にとって、楽器製作の二大国はフランスとベルギーであり、その象徴がアドルフ・サックス(Antoine-Joseph “Adolphe” Sax, 1814-1894)です。歴史を振り返れば多くの試みがなされましたが、最終的に国際的に受け継がれたのは、フランスで確立されたシステムでした。
左:1856年頃の〈アントワンヌ・クルトワ〉の工房兼店舗
中央:フランソワ・ぺリネとともにピストンシステムの開発を行ったアントワンヌ・クルトワ(左)、アーバン教則本で知られるジャン=バティスト・アルバン(右)
右:Cトランペットを普及させたメリ・フランカン
フランスとアメリカ — 二つの系譜が織りなすトランペット史
フランスとアメリカの系譜的なつながりについて、具体例を教えてください。
フランスとアメリカの系譜は、とてもシンプルです。
楽器の歴史においては、演奏家(奏法/教育/演奏)と楽器製作者(開発/設計/製作)が常に並行して存在してきました。
まずアメリカに旅立ったのは、楽器製作者です。
ユージェンヌ・デュポン(Eugène Dupont, 1831-1881)は、パリのアドルフ・サックス工房で工房長を務めながら政治運動に関わり、国外へと追われました。彼が渡った先がアメリカで、そこでコーン(Conn) を立ち上げました。
その後、フランスとアメリカの間では産業的な交流が生まれます。20世紀初頭に世界をリードしたのは ケノン(Couesnon) で、その経営者はフランス政府の産業部門に関わる政治家でもありました。
両国の間では、部品のやり取りを含む多様な交流が行われ、その蓄積が現在の国際的なトランペット文化を形づくっています。
演奏家についてはさらに単純です。
アメリカのトランペット奏法の基礎を築いたのはフランス人、ジョルジュ・マジェ(Georges Mager, 1885–1950)でした。彼はボストン交響楽団の首席奏者として活躍し、アメリカで初めてCトランペットを本格的に用いた人物でもあります。
「アメリカのトランペットの父」と呼ばれるロジェ・ヴォワザン(Roger Voisin, 1918-2008 / ボストン交響楽団)や、アメリカ音楽界に大きく貢献したアドルフ・ハーセス(Adolph Herseth, 1921-2013/ シカゴ交響楽団)は、マジェに師事していました。
この流れの中で、フランス学派は国境を越え、新しい文化的・教育的文脈の中で受け継がれていきました。
伝統が再び結び直される時代 —〈アドリアン・ジャミネ〉が語る現在
フランスのトランペットの歴史は、決して途切れることなく一直線に続いてきたわけではありません。
国内で楽器製作が停滞し、その中心が他国へ移った時代もありました。
一方で、演奏と教育の分野では、フランス学派の奏法やレパートリーが受け継がれ続けてきました。
こうした歴史を踏まえたとき、現在フランスでトランペットを製作するという行為は、決して自明なものではありません。
とりわけ、同じ取り組みを行う製作者がほとんどいない状況のなかで、私が向き合っているのは、歴史の中で一時的に空白となっていた「製作」という領域です。
演奏や教育として受け継がれてきた系譜に、あらためて楽器製作を結び直すこと — それが、私自身の仕事の位置づけだと考えています。
トランペットの歴史を辿ると、フランスの奏者や製作者の名前が、時代を越えて繰り返し語られてきたことに気づきます。
それらの名前や響きが今日まで記憶され続けていること自体が、この系譜が、長い時間をかけて積み重ねられてきたものであることを物語っています。
ありがとうございました。
では、その系譜は「いまの現場」でどう息づいているのか。 編成・レパートリー・奏者の美学という視点から、選ばれる必然を探ります。