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Fabien Wallerand

低音は、支えるだけでなく、音楽を前へ進める

低音は、オーケストラを下から支えるだけではありません。パリ・オペラ座管弦楽団のテューバ奏者、ファビアン・ワルラン氏にとって、それはリズムを生み、響きの重心を定め、音楽を前へ進める力でもあります。

2026年5月、ビュッフェ・クランポン・ジャパンが初開催した「テューバアカデミー」のために来日したワルラン氏に、長時間にわたり話を伺いました。オーケストラにおけるテューバの役割、息と身体、音を育てる練習、若い奏者への眼差し、そして音楽を生み出す楽器とは何か。本インタビューでは、テューバという楽器をめぐる氏の深い思考を、4回にわたって紹介します。

第1回では、オーケストラの中でテューバが担う役割に焦点を当てます。最初の一音を出す前に何を聴くのか。低音は、どのように音楽を前へ進めるのか。小澤征爾氏との忘れがたい経験や、フランス、ドイツ、オーストリアのオーケストラ伝統の違いを交えながら、ワルラン氏の言葉をたどります。

ファビアン・ワルラン インタビュー 2026: 第1回 低音と推進力第2回 空気と音づくり第3回 身体と自分の耳第4回 音楽を生み出す楽器

オーケストラの中で、テューバの役割は変わってきたか

まず、オーケストラにおけるテューバの役割について伺います。長年同じレパートリーに向き合うなかで、テューバが担う役割や、オーケストラの響きに加えるべき音色への考え方は、経験とともに変わってきましたか。

はい。私は現在、パリ・オペラ座管弦楽団でテューバ奏者を務めて21年になりますが、オーケストラの中でのテューバの捉え方は、大きく変わってきました。

人は時間とともに変化します。音楽の捉え方も、音に対する感覚も、オーケストラの中でテューバが占める位置についての認識も、人生の経験とともに少しずつ変わっていきます。20年、21年前にオペラ座に入った頃の感覚と、今の感覚のどちらがより良いのかは分かりません。どちらにも良さがあり、互いに異なるものです。ただ、オーケストラの中でのテューバに対する私の見方や受け取り方、感受性は、そうした経験を通して大きく変わってきました。

若い頃の私は、テューバを今よりもややソリスティックな楽器として捉えていました。私にとってテューバは、まず単独で成立するソリストの楽器だったのです。実際、私の肩書きも「テューバ・ソロ」ですから、オーケストラの中のソリストだという意識が強くありました。

一方で、自分の演奏がオーケストラ全体の響きの中に自然に溶け込むようになるまでには、ある程度の時間が必要でした。オーケストラには、それぞれ固有の音のアイデンティティがあります。音、色彩、アーティキュレーション、演奏の仕方、指揮者との関わり方――それらは、オーケストラごとに異なります。そのアイデンティティを理解するには、時間がかかるのです。

今でも、テューバにはソリスティックな側面があると思っています。ただ今は、それを以前よりずっと自然に、オーケストラ全体の響きの中へ溶け込ませられるようになったのだと思います。若い頃は、テューバが負っている責任を必ずしも十分に自覚していませんでした。しかし今は、同僚たちとの関係の中で自分が果たす役割を、以前よりずっと強く意識しています。

同僚たちと話をしていると、ときどきこう言われます。「ああ、今のは君だと分かる。振り向かなくても分かるよ。音を聴けば君だと分かる。アーティキュレーションがとても正確で明瞭だから、すごく助かる。それに、オーケストラをしっかり支える音がある」と。

Fabien_Wallerand
ファビアン・ワルラン氏プロフィール | パリ国立高等音楽院教授、パリ・オペラ座管弦楽団テューバ・ソロ奏者。リヨン国立高等音楽院テューバ科を満場一致の一等賞で卒業し、グブヴィレール、マルクノイキルヒェンの国際コンクールで入賞。世界各地で演奏・指導を行うほか、〈メルトン・マイネル・ウェストン〉とシグネチャーモデル“2250 FW TITAN 2”を共同開発している。

最初の一音を出す前に、何を聴くのか

オーケストラでは、ご自身が最初の一音を出す前に、何を聴いているのでしょうか。

演奏前には、その場の「性格」を聴くのが好きです。作品全体の性格ももちろん大切ですが、私が特に意識しているのは、その瞬間の音楽の性格です。演奏は、常にその時々の音楽的な性格や表情に合わせていかなければなりません。

ですから私は、自分が入る1小節前、2小節前だけを聴いているわけではありません。テューバではよくあることですが、出番まで10分待つような場合でも、集中して耳を傾け、すでに鳴っている音の雰囲気を身体に染み込ませるようにしています。仲間たちがつくっている音の中へ入っていくためです。自分だけが別の色にならないようにするためでもあります。

私は「音楽的な色彩」という考え方をとても大切にしています。ソリストであっても、オーケストラの一員であっても、それは同じです。オーケストラの音の中へ入っていくこと。そして同時に、自分からも音を提案すること。その両方が、とても重要だと思っています。

それほど深く周囲の音を聴いていると、演奏中にご自身の音をその場で変えることもありますか。

はい。音を調整しなければならないことはあります。

パリ・オペラ座で特に興味深いのは、私たちが単発の演奏会をしているのではなく、オペラやバレエを上演しているということです。ひとつの演目を、オペラであれば8回、10回、12回と演奏することがあります。バレエでは22回、23回に及ぶこともあります。これは本当に多い回数です。

けれど、私たちは機械ではありません。人間です。ですから、同じ演目であっても、毎回その瞬間のあり方が違います。たとえば初日の公演では、オーケストラの中に緊張感やストレスがあるのを感じます。そうすると、音も必ずしも同じにはなりません。日曜の午後の公演と、土曜の夜の公演でも、響きは違います。

これは不思議なことですが、同時にとても豊かなことでもあります。私たちは仲間に適応し、全員が互いに適応しているからです。同じものを何度も演奏するのは簡単ではありません。しかし一方で、同じ公演は一度としてありません。だからこそ、とても豊かなのです。

「生きた低音」とは何か

低音、音、そして音楽的な存在感について伺います。オーケストラの低音域は、音楽の流れを支え、彩り、方向づけることができます。ワルランさんにとって「生きた低音」とは、どのようなものでしょうか。

生きた低音とは、コントロールされていて、なおかつ非常にリズミカルな低音だと思います。

低音の難しさは、特に大きな楽器の場合、大量の息が必要になり、アーティキュレーションにも余分な労力がかかることです。そのぶん、ほんのわずかに遅れやすくなる。けれど私は、そこが本当に大きな課題だと思っています。

テューバについて最も大きな誤解があるとすれば、それは「テューバは遅れて演奏する楽器だ」と思われていることです。私はそれに対して、いつも強く異議を唱えています。「違います。遅れて入るのではありません。ほかの楽器と同じように入るのです」と。

学生たちにもよく話しますが、中音域を吹いていても、高音域でも、低音域でも、常にリズムの推進力を失ってはいけません。テューバは、オーケストラを前へ押し出す力を持つ楽器であるべきだと思います。

私の音楽人生の中で、とりわけ美しい経験の一つに、パリ・オペラ座で小澤征爾さんとご一緒したことがあります。以前にもお話ししたかもしれませんが、私にとって非常に強い印象を残しているので、もう一度触れたいと思います。パリ・オペラ座の多くの同僚にとっても、あの公演シリーズは記憶に残っているはずです。

小澤征爾さんが2007年にワーグナーの《タンホイザー》を指揮されたときのことです。小澤さんは、いつも「リズム、リズム」とおっしゃっていました。テューバとコントラバス、つまり低音楽器の方を見るたびに、合図を送るのです。「リズム、リズム。テンポ、テンポ、テンポ、テンポ」と。常にテンポでした。

そして、それは正しかった。オーケストラを前へ押し出していたのは、低音だったからです。音は低音から生まれる。テューバは本当に推進力を生み出す楽器であるべきだという考え方は、とても興味深いものです。

私は、小澤征爾さんとのこの経験を今も大切にしています。本当に素晴らしい経験でしたし、そこから多くを学びました。オーケストラに入ると、もう「先生」はいません。しかし、指揮者がいます。いつも良い指揮者に出会えるわけではありませんが、ときに本当に素晴らしい指揮者に出会うことがある。私にとって、小澤征爾さんは、これまで共演した中でも間違いなく最も偉大な指揮者の一人でした。

低音楽器に対して、いつも「テンポ、テンポ、テンポ」と語りかけていたことを、今も忘れることができません。

ファビアン・ワルラン氏
オーケストラの中でテューバが担う役割を、単なる「支え」にとどめず、音楽を前へ動かす力として語るワルラン氏。

フランス、ドイツ、オーストリア ― オーケストラの中のテューバ観の違い

次に、ヨーロッパのオーケストラの伝統の違いについて伺います。フランス、ドイツ、オーストリアなどでは、テューバに求められる役割や音、オーケストラ内でのバランスに違いがあると感じますか。

はい、もちろんです。とても具体的に感じます。ただし、その違いは以前ほど極端ではなくなってきたとも思います。今は、ある意味で音の傾向が国境を越えて近づいてきているからです。

かつては、違いがもっとはっきりしていました。たとえばドイツでは、ロータリー式のテューバだけが使われていました。一方、フランスでは50年ほど前まで、より小型のピストン式C管サクソルンが使われていました。つまり、現在一般的にイメージされるバス・テューバではなかったのです。フランスのトロンボーンは細管でしたし、トランペットも同様でした。50年前までは、フランス、ドイツ、オーストリアのオーケストラの違いは、使用される楽器の面から見ても非常に明確だったのです。

現在では、フランスでもバス・テューバやコントラバス・テューバを吹きます。ピストン式の場合もあれば、ロータリー式の場合もあります。つまり、ドイツやオーストリアと同じ種類の楽器を使うことができるようになりました。一方で、ドイツやオーストリアでは、現在でもピストン式の楽器はほとんど使われません。それでも、楽器の構造や種類という面では、以前よりかなり近いものになっています。

それでもなお、今日まで大きく異なっているのは、音の「考え方」です。フランスの音は、比較的明るく、明瞭で、輪郭がはっきりしていて、アーティキュレーションが非常に明確です。これは以前のインタビューでもお話ししましたが、言語とも関係していると思います。フランス語という言語、私たちの発音、そしてアーティキュレーションの仕方の間には、確かなつながりがあります。ドイツ語話者にはまた別の話し方があり、それに伴って、別のアーティキュレーションの感覚があります。ですから、オーケストラの中でも、そうした違いは今なお残っています。

フランスでは、ドイツやオーストリアに比べて、より明確にアーティキュレーションする傾向があります。そして、テューバをかなりソリスティックに捉える側面も、今なおあります。実際、フランスのテューバ奏者は、協奏曲を演奏したり、オーケストラや吹奏楽団とソリストとして共演したりすることを非常に好みます。

一方、ドイツやオーストリアでは、テューバはオーケストラの中に「溶け込む」楽器として捉えられていると思います。前に出ることが常に求められるわけではなく、音の面でもアーティキュレーションの面でも、よりオーケストラを支える役割が中心になります。ドイツでは、テューバ奏者はあくまでオーケストラの中で演奏するという伝統が、非常に強く保たれています。室内楽を少し演奏することはありますが、ソリストとして協奏曲を演奏したり、ピアノとのリサイタルを行ったりすることは、あまりありません。

私自身は、パリ国立高等音楽院で教える中でも、テューバは一つの「推進力」であると学生に伝えています。音響的な推進力であるだけでなく、リズムの面でもエネルギーを生み出す楽器です。オーケストラの後方で控えめに存在するだけの楽器ではなく、ある意味で、音楽を前へ動かしていく楽器なのです。

ですから、そこには非常に異なる捉え方があります。ドイツやオーストリアの奏者は、コントラバスと溶け合うような音を志向し、決して前面に押し出しすぎない。一方で私は、低音の中にも明確さや推進力を求めています。

ただし、それはどちらが正しいということではありません。私はベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のテューバ奏者、アレクサンダー・フォン・プットカマーととても親しくしています。互いの違いをよく知っていますが、まさにその違いが豊かさでもあるので、とても尊重し合っています。ウィーンのパウル・ハルヴァックスとも親しくしています。私たちの演奏は非常に異なりますが、互いに高く評価し合っていて、今も連絡を取り合っています。

テューバは、伴奏楽器ではない ― 音色と表現の可能性

ワルランさんにとって、音楽的に説得力のあるテューバの音とは、どのようなものでしょうか。その音に必然性を与えるものは何だと思いますか。

テューバは、きわめてしなやかな楽器でなければならないと思います。トランペット、トロンボーン、ホルンといったほかの金管楽器と同じように、技術的にも自在に演奏できることが必要です。

長い間、テューバは伴奏楽器のように見られてきました。オーケストラの後方に置かれ、常に少し引いた場所にいるような扱いを受けてきたのです。

私自身、アメリカ人の師から、テューバをそうした存在としてではなく、もっと能動的な楽器として捉える姿勢を学びました。そして今は、それを自分も伝えようとしています。テューバは推進力を生む楽器であり、驚くべき可能性を持っている。そのためには、しなやかで、温かく、同時に精密な音を持たなければならないのです。

その可能性は、音色の面ではどこまで広がるのでしょうか。一般の聴き手は、テューバを非常に限定された音色の楽器としてイメージすることもあります。

テューバのソリストたちの使命の一つは、新しい奏法や新しい音のあり方を探るために、さまざまな試みを行うことだと思います。

そうした動きは、すでに1980年代、1990年代頃から見られました。とりわけフランスでは、ピエール・ブーレーズが創設したアンサンブル・アンテルコンタンポランの存在が大きかったと思います。このアンサンブルでは、テューバも重要な役割を担い、現代音楽のレパートリーの中で、ミュートや特殊奏法を通じて、新しい音、新しい色彩を生み出す試みが重ねられてきました。

もちろん世界全体を見ても、現在では多くのテューバ奏者がレパートリーを広げ、一般の聴き手にテューバの音響的な可能性を示そうとしています。たとえば、フラッター、重音、循環呼吸などです。重音と言いましたが、三重音のような響きもあります。そうした試みは、テューバもほかの楽器と同じように、多彩な表現を担える楽器であることを示してくれます。

シンフォニックウインズ東京 第13回定期演奏会『ザ・テューバ・マフィアズ』リハーサルより。ワルラン氏の演奏は、低音が沈み込むのではなく、音楽を前へ運ぶような推進力が印象的だった。

オーケストラには、厳密さの中にも自由がある

オーケストラでは厳密さが求められます。その中で、演奏者としての自由をどのように保っているのでしょうか。

オーケストラには、もちろん厳密さがあります。しかし同時に、ある種の自由も確かにあります。

一つ例があります。数か月前、パリ・オペラ座で交響曲の演奏会を行ったとき、アメリカ人の指揮者が金管セクションに英語でこう言いました。「皆さん、金管はもっとこういう音で。もう少しフォルテで、シカゴ交響楽団のような音で」と。

そこで私は、「いやいやいや、ここはパリ・オペラ座です。シカゴ交響楽団ではありません。パリ・オペラ座です」と言いました。

もちろん、シカゴ交響楽団は素晴らしい音を持っています。金管も本当に素晴らしい演奏をします。それはそれで非常に良いものです。しかし、シカゴ交響楽団の金管に「パリ・オペラ座のように演奏してください」とは言いませんよね。

その指揮者も、私たちの考えを理解してくれました。険悪な雰囲気にはなりませんでした。ただ私にとっては、「皆が同じ楽器で、同じ音で、同じように演奏しましょう」と言われているようにも感じられたのです。

でも、音楽はそういうものではありません。シカゴはシカゴ、パリはパリ、東京は東京です。それぞれに、それぞれの音があり、演奏の仕方があります。

もし私たち全員が、シカゴ交響楽団やニューヨーク・フィルハーモニック、あるいはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と同じように演奏するようになったら、それは面白くありません。オーケストラの中で厳密であることはもちろん必要です。しかし、それでもなお、そのオーケストラ固有の自由を保つことは非常に重要だと思います。
それは、音の選び方、アーティキュレーション、場合によってはヴィブラートの用い方などに表れます。

ソリストとして演奏するとき、あるいは室内楽で演奏するときには、より大きな自由を取ることができます。自分たちにヴィジョンを押しつける指揮者がいないからです。自分自身のヴィジョン、そして芸術的な解釈を、自分たちの側から提示することになります。

ただし、それも一緒に演奏する相手によります。常に周囲の環境に適応しなければならないからです。オーケストラの中でも、場合によっては、ある程度の自由を取ることがあります。ただ、それは指揮者によります。オーケストラの音楽家を信頼し、音楽家が自分なりに表現することを認める指揮者もいます。一方で、ある一つの解釈を強く示し、それを求める指揮者もいます。

それでも私は、異なる音、異なる演奏の仕方を聴くことにこそ、大きな豊かさがあると思っています。その違いこそが、本当の豊かさなのです。

つづく|第2回「音は、空気から始まる」
テューバの音を支える息、身体、アーティキュレーション、そして音を育てる練習について伺います。

ファビアン・ワルラン インタビュー 2026: 第1回 低音と推進力第2回 空気と音づくり第3回 身体と自分の耳第4回 音楽を生み出す楽器

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