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エマニュエル・ヌヴー氏 インタビュー|東京交響楽団 首席クラリネット奏者

東京交響楽団の首席クラリネット奏者として長年舞台に立ち、国立音楽大学で後進の指導にもあたるエマニュエル・ヌヴー氏。フランスで培った確かな土台と、日本のオーケストラの中で深めてきた「聴くこと」の感覚は、そのクラリネット観に独自の厚みを与えています。クラリネットを「色彩を加える楽器」と捉える視点、そして演奏家・教育者としての音楽観をうかがいました。

「聴くこと」から広がる、エマニュエル・ヌヴー氏のクラリネット観

最初に惹かれたのは、クラリネットの音の美しさ


まず、クラリネットとの出会いから、ルーアン、パリでの学びに至るまでをうかがえますか。
 
私はクラリネットを10歳で始めました。かなり早く始めたほうだと思います。日本では13歳、14歳くらい、中学に入る頃に始める方も多いですよね。

私の場合は、両親が持っていた黒い大きなレコードがきっかけでした。モーツァルトのクラリネット協奏曲を、ウィーンのクラリネット奏者ロルフ・アイヒラー氏の演奏で聴いたんです。とても美しい音で、しかもクラリネットは非常にヴィルトゥオーゾな楽器だと感じました。彼はスケールの本でも知られていますね。丸みのある独特の、とてもウィーン的な音色を持っていて、私はすぐに夢中になりました。それから、母がジャック・ランスロ氏のウェーバーのクラリネット協奏曲第1番も聴いていました。冒頭のフレーズが本当に美しかった。それにもまた惹かれました。

そこで私は音楽学校に通い、10歳から13歳までの間、ジャン=ピエール・ポーラン氏に習い、その後ルーアンに行きました。

私がルーアンの音楽院に入った頃、ジャック・ランスロ氏が定年で去りました。それで、当時のルーアンの音楽院には日本人留学生が数人在籍していました。ランスロ氏に師事するため、ルーアンで学んだ有名な日本人奏者はたくさんいます。
ランスロ氏の後任は、ギィ・ドゥプリュ氏の弟子のメフメット・エルマカスタール氏でした。トルコ系の先生で、ランスロ氏のレッスンも少し受けていたはずです。私は彼に習いました。13歳くらいから17、18歳までです。

その後、パリ国立高等音楽院でクラリネット科を4年学び、バスクラリネット科にも1年在籍しました。パリでは、世界中から来た多くの学生、とくに外国人や日本人の学生に出会いましたし、室内楽やクラリネットでも多くの先生方に接することができました。ミシェル・アリニョン氏、アラン・ダミアン氏、短い期間でしたがフローラン・エオー氏にも習いましたし、ギィ・ダンガン氏との初見の授業でも多くのことを学びました。

アリニョン氏とダミアン氏 ― 二人の師から受けた影響


アリニョン氏とダミアン氏からは、それぞれどのような影響を受けましたか。

私はミシェル・アリニョン氏の教えに強く影響を受けました。彼のレッスンでは、あまり多くを語るのではなく、とにかくたくさん吹いてくれたんです。それが強く印象に残っています。

また、アリニョン氏は情熱的な先生でした。枠や構造を重んじながら、エア・コラム(息の柱)やアンブシュアの形についてもよく話し、生徒にフレーズを作らせ、外へ向かって表現させようとしていました。とても優しい人でしたが、少し手厳しい時もありました。

たとえば、ある日こちらがニュートラルに、ニュアンスも情熱もなく吹いていると、ためらわずにこう言うんです。
「エマニュエル、これじゃ退屈だよ。何かやってくれないか。最初からやり直そう。」
そういう直接さも含めて、とてもよかったです。印象深く残っています。

彼はまた、道具にも強い関心を持っていました。〈ビュッフェ・クランポン〉のテスターであり、“Tosca”(トスカ)の開発に大きく貢献した人ですし、その前には“Elite”(エリート)にも関わっていました。“Elite”はもう製造されていませんが、本当に素晴らしい楽器でした。

Emmanuel_Neveu
ミシェル・アリニョン氏が関わった“Elite”について、ヌヴー氏はA管を3年間使用した経験を持つ。現在は製造されていないが、その繊細な響きや軽さの感覚は今も印象に残っているという。

アリニョン氏とダミアン氏は、最初、アンサンブル・アンテルコンタンポランで一緒に演奏していましたが、アラン・ダミアン氏はまったく別のタイプの人物でした。

ダミアン氏は、なんというか……とても変わっていて、まるで別の惑星にいるような人でした。そして、とても開かれた人でした。アンサンブル・アンテルコンタンポランにいたので、現代音楽のことしか考えない人だと思われがちですが、実際には違いました。
彼のレッスンですぐに気付くのは、現代音楽でも、ロマン派でも、バロックでも、楽曲の構造、フレーズの作り方、和声、作品全体の雰囲気を深く理解しているということです。ピアノも非常に巧みに弾けたので、そうしたことを本当に自分のものとして捉えていたのだと思います。

また、説明を聞いていても、必ずしもすぐに理解できるわけではなかったことも印象に残っています。ダミアン氏は話し始めて、途中で止まり、別のことを考え始めて、そのまま急に止まってしまう。ただ、全体の線、言いたいことやフレージングの方向性は、最終的に伝わってくるのです。

もうひとつ印象に残っているのは、私がコープランドの協奏曲を吹いていた時、カデンツァの途中でダミアン氏が電気を消したことです。私はその曲を暗譜していませんでした。すると彼が「音を聴きなさい! 音を聴きなさい!」と言う。楽譜がまったく見えないのですから、私は吹けなくなってしまいました。

とても人間的で、生徒との距離が近い人でした。こちらは最初から楽な気持ちで、自分の思うように吹くことができたんです。彼のもとでは音楽的な道がひとつではなく、こちらが表現しようとしているフレージングを彼自身が好まなくても、それが成立しているなら認めてくれた。好みの問題だからです。個性的ですが、とても愛すべき人でした。

ダミアン氏が高等音楽院で教えていたのは、たしか1年だけだったと思いますが、私が最も強く影響を受けた先生かもしれません。

東京交響楽団で知った「聴くこと」の文化


日本との関係は、どのように始まっていったのでしょうか。

実は、日本クラリネットコンクールを受ける以前から、私は日本と縁がありました。きっかけは、パリ国立高等音楽院で郡尚恵と出会ったことです。私が22歳で、入学したばかりの頃、クラリネットの卒業試験を聴きに行った日に知り合いました。その翌年から、私は毎年夏に日本を訪れるようになり、来日3年目の夏に、ちょうど日本クラリネットコンクールに参加したのです。

驚いたのは参加者の数です。200人いたんです。かなり印象に残りました。私はとてもリラックスしてそのコンクールを受けました。楽しみながらクラリネットを吹き、暑い中でも温泉に行って、またクラリネットを吹いて。そういう自然な状態で臨めたことが、よい結果につながったのだと思います。

そこから、日本でオーケストラを受けようと思われたのはなぜですか。

日本に住みたいと思っていたんです。何より第一の理由は、もちろん尚恵と一緒にいたかったからです。それに、私はこの国、日本、文化、食べ物が本当に好きでした。それで、27、28歳の時、たしか高等音楽院の学友でもあった松本健司さんが、「もしよければ東京交響楽団のオーディションがあるよ。受けてみたら。受けるだけなら損はない」と言ってくれたんです。そこで私は来日し、入団試験で受かったんです。

日本のオーケストラ文化には、どのような特徴を感じてこられましたか。

まず印象に残ったのは、とても過密なスケジュールです。毎日リハーサルがあり、同じ日にダブル・リハーサルのこともある。1週間の中で2つ、3つのプログラムがあることもあって、ときには重いプログラムもあります。入団当時はかなり驚きましたし、最初の1年は大変でした。でもすぐに慣れました。日本人になってしまった……というのは比喩ですが。

オペラやバレエ、現代音楽、もちろん古典的レパートリーまで含む、東京交響楽団のレパートリーの幅広さも印象的でした。多くの指揮者にも出会えますし、同じ作品について、違う指揮者からさまざまな音楽的見解を受け取ることができる。退屈する暇もなく、刺激的で楽しい経験です。

また、日本のオーケストラでは、奏者同士が互いによく聴いています。たとえば、私がオーケストラに入った当初は、美しい音で、きれいに吹いて、正しいニュアンスをつけることは考えていましたが、ほかの奏者の音をそこまでよく聴いてはいませんでした。すると、ほかの奏者たちは遠慮なく指摘してくれたんです。「そこはもっと弦を聴かないといけない」「オーボエのソロとバランスを取らないと」と。そうした率直さは、私にとってとても良い経験でしたし、今も強く印象に残っています。

その背景には、日本の吹奏楽文化もあるのでしょうか。

まさにそれです。日本には、学校の吹奏楽部も、一般の吹奏楽団も数多くあります。素晴らしいことだと思います。小さい頃から、最初にすることは、自分がまだ上手に吹けなくても他人を聴くことです。そこには「聴く」ということがあり、チームワークのようなものがある。

さらに日本のオーケストラでは、「聴くこと」に加えて、奏者同士のコンタクトも多いです。あまり外からは見えませんが、演奏中にも、アタックを出す人、コンサートマスター、隣の奏者と絶えず目を交わしています。そうしたやり取りが多く、雰囲気もとても良いんです。加えて、リズム面でも音楽面でも、ある種の厳密さがあります。

フランスの楽器教育は、しばしばよりソリスティックで、現地ではよく「エリート主義だ」と言われていますが、そうした違いも感じていらっしゃいますか。

そうですね。たとえば私は、クラリネットを始めてから数年は、アンサンブルやオーケストラよりも、まずクラリネットそのものに集中していました。日本はその点がとてもよくて、最初からすぐにチームワークやアンサンブルの経験に入っていけます。

ただし、ひとつ不利な点もあるかもしれません。日本では必ずしも全員が最初からクラリネットの先生に習い始めるわけではないので、アンブシュアの基礎技術が十分にしっかりしていないこともある。フランスには音楽学校が本当にたくさんあって、楽器の技術やアンブシュアの形をしっかり学びます。基礎という点では、非常によいことです。

Emmanuel_Neveu
エマニュエル・ヌヴー氏 プロフィール|東京交響楽団 首席クラリネット奏者。フランス・ルーアン市生まれ。フランス国立パリ高等音楽院卒業。1999年日本クラリネットコンクール第1位。2003年東京交響楽団入団。国立音楽大学、洗足学園音楽大学非常勤講師。ポラリス国際音楽祭に定期的に出演するなど、演奏・教育の両面で幅広く活動している。ビュッフェ・クランポン・ジャパン契約講師。

クラリネットは、色彩を加える楽器


オーケストラの中で、クラリネットの役割をどう考えていらっしゃいますか。

私の考えでは、クラリネットにももちろん重要なソロはありますが、木管の中でよりソロ的な役割を担うのは、やはりフルートとオーボエだと思います。クラリネットはむしろ、ある種の色彩を加える楽器です。ファゴットにも少し近いかもしれません。

もちろん、《シェエラザード》やブラームスの交響曲のように重要なソロもあります。けれど、それ以外では、よく聴き、支え、全体に溶け合うことが求められる。トゥッティでもソロでも、クラリネットの役割は、響きに色彩を加えることだと思います。

長年日本で活動される中で、ご自身の音楽観や演奏スタイルは変化しましたか。

今は、以前よりもっとシンプルに吹こうとしていると思います。

若い頃は、少しやりすぎていたかもしれません。フォルテを押しすぎていて、不自然で、少し人工的でした。今は、自分が感じるままに吹こうとしています。誰かの意見は、もうあまり気にしません。

年を重ねたからかもしれませんが、そういう変化を、成熟と呼ぶのかもしれません。

室内楽でも、中心にあるのは「聴くこと」


オーケストラ、室内楽、ソロで、アプローチは変わりますか。

室内楽は、ある意味で小さなオーケストラです。五重奏であれ何であれ、他の奏者をよく聴かなければなりません。少し前にプロコフィエフの五重奏を演奏しましたが、とても難しい曲で、リズムの面でも非常に複雑でした。そういう時は、他の楽器が何をしているかを本当によく聴く必要があります。やはり中心にあるのは、「聴くこと」ですね。

一方、ソロの場面では、もっとパワーが必要になります。必要であれば、他の奏者に少し音量を抑えてもらうようお願いすることもあります。クラリネットは、ときに十分な力を持ちにくい楽器でもあります。とくに中音域、ラやソあたりの音ですね。私自身、ソリストとして自分のオーケストラと何度か共演しましたが、その時は全体として、より強く吹く必要がありました。

たとえば、ドビュッシーの《ラプソディ》をオーケストラと演奏したことがあります。この作品には、きわめて繊細なニュアンスや、最後に向かって消えていくようなピアニッシモ、ディミヌエンドがたくさんあります。ところが、オーケストラと演奏すると、書法自体がかなり厚いため、どうしてもメゾフォルテかフォルテで吹かざるをえない。そこは少し残念ですね。オーケストラ版は、私にはそれほど面白く感じられません。色彩がずっと少ないからです。もともとはクラリネットとピアノのための作品ですから、ピアノ版のほうが、もっと繊細に、さまざまなことができます。

Emmanuel_Neveu
ヌヴー氏は、ドビュッシー《ラプソディ》のような作品では、ピアノ版に比べてオーケストラ版は色彩の幅が制限されやすいと感じている。クラリネットの繊細なニュアンスを通す難しさも、現場の実感として語っていた。

理想の音色は一つではない


ヌヴーさんにとって、理想の音色とはどのようなものでしょうか。

私にとっては、唯一の理想の音色というものはありません。

若い頃は、ロルフ・アイヒラー氏やカール・ライスター氏のような丸い音色、ドイツ系の流れが好きでした。今も好きですが、フランスでも丸い音色で吹く奏者はたくさんいます。たとえばパスカル・モラゲス氏はヴェルヴェットのような音色です。彼はとてもリラックスして吹いていると思います。それが自由な印象を与えるんでしょうね。

ミシェル・アリニョン氏の、もっと力強い、直進的に大ホールの奥まで矢のように届く響きも大好きです。アリニョン氏は、ストローに吹き込むような感じで、もっとまっすぐに息を入れる吹き方なんです。もしかすると、マウスピースを少し締めて、つまりアンブシュアを少し締めているのかもしれません。ジャック・ランスロ氏の、デリケートで洗練された音もとても好きでした。

本当にどんな音色も好きです。理想の音というひとつの像はありません。ニコラ・バルディルー氏は音もテクニックも素晴らしく、マルティン・フレスト氏も音色の幅広さや、アレクサンドル・シャボ氏の繊細な音にも強く惹かれます。

ただ、私は今はそれほどたくさんクラリネットを聴くわけではないんです。子どもの頃は本当によく聴いていました。とくに14歳から20歳くらいまで、たくさんのクラリネットをかけて、あらゆるスタイルを聴いていました。

つまり、理想像が一つではなく、いろいろあった。だから今は一つの固定したイメージがないのですね。

そう、その通りです。若い頃にいろいろなクラリネット奏者を聴くことは本当に大切だと思います。ひとつの道に入り込まないためにも。

レッスンで伝えるアンブシュアとフレージング


いま学生たちを見ていて、どのような傾向を感じますか。

現在私は国立音楽大学で10人~11人の学生に教えています。フランスに留学する学生も多いですね。私のクラスはフランスで勉強したいと思っている学生にとっては、安心感があるのかもしれません。私は日本語で教えられますが、留学すれば音楽用語やソルフェージュの用語もフランス語なので、留学準備のためにフランス語でレッスンをすることもあります。

最近感じるのは、とても意欲的で、しかも技術の高い学生が多いということです。たとえば1年生で、ジャン・フランセの《主題と変奏》を暗譜で完璧に吹いた学生もいます。全体としてよく練習していますし、18歳から22歳くらいという若さもあって、できるだけ高い水準で演奏しようとする意識も強い。もちろんレベルはさまざまですが、総じて非常に意欲的です。
 
日本の若いクラリネット奏者の強みと、これから伸びていく余地はどこにあると感じますか。
 
もう少し音楽を外へ出すこと、そして自分をもう少し解放すること、でしょうか。

とはいえ今は、とても外向的な若いクラリネット奏者もいます。海外で学ぶ日本人も非常に多いですから。ヨーロッパやアメリカでの経験を持っている。だから日本人奏者の中にも、今は本当にいろいろなタイプがいます。

レッスンで繰り返し伝えている基礎は何でしょうか。

それは生徒によります。アンブシュアが完成していない生徒には、鏡の前で練習させます。自分を見ることが大事なんです。すぐに理解できますから。レッスンでも時々鏡の前でやらせますし、家でも、小さな鏡を買って譜面台に置き、下唇がきちんと張っているか、顎の位置がどうかを常に確認しなさいと言います。それからタンギングのときに、舌を動かすのと一緒に顎まで動いていないかを確認すること。

逆に、アンブシュアに問題がなければ、できるだけ音楽面を広げます。とくにフレージングです。長いフレーズを作ること。速いパッセージでも、音をきれいに並べるだけにしないこと。16分音符の連続でも、必ずフレージングを見つけることです。

確かに、フランスでは学生でもフレーズを大きくとりますね。

そう、日本ではもっと細かく切れている感じがありますね。ですから、もっと大きなフレーズを作るように伝えています。大きなフレーズには常に方向があり、そのフレーズがどこへ向かっているのかを自分で分かっていなければならない。そして、そこには論理も必要です。
それから、私自身がたくさん吹いて聴かせることも大切です。耳の中に、あまりひどくない音を入れておく必要がありますから。

Emmanuel_Neveu
柔らかな物腰と自然なユーモアで、場の空気をやわらげるエマニュエル・ヌヴー氏。言葉の端々に、長年の経験に裏打ちされた温かな人柄がにじむ。

〈ビュッフェ・クランポン〉への信頼


長年〈ビュッフェ・クランポン〉を使われてきて、オーケストラの現場でとくに信頼している点はどこですか。

私は、“Tosca” 発売時から20年以上、“Tosca” のGreenLine(グリーンライン)モデルを吹いています。これは、とくに日本では非常に適した楽器だと思います。日本は気温や湿度の変化が大きく、とりわけ夏は、外が高温多湿である一方、建物の中は冷房でかなり乾燥していることがあります。Green Lineは、その点で大きな安心感があります。材質が動きにくく、音の飛びもいい。

大きなホールでは、本当に良いですね。フランスには大空間のコンサートホールはそれほど多くありませんが、「大きなホールで飛ぶ」という点では、Green Lineはとても優れていると思います。無理に吹かなくても、音がきちんと届くんです。
唯一の欠点を挙げるとすれば、重さですね。だから私はベルだけグレナディラ製に替えています。クラリネット本体はそのままです。

創業200周年を迎えた〈ビュッフェ・クランポン〉のこれからを、どのように見ていらっしゃいますか。

〈ビュッフェ・クランポン〉には、これからも非常に明るい未来があると思います。世界の優れたクラリネット奏者たちが、このブランドを吹いていますし、長い歴史の中で築かれてきた確かさと信頼があります。世界でもっとも多く使われているクラリネットだと言ってもよいかもしれません。そうした意味でも、〈ビュッフェ・クランポン〉の未来はとても力強いものだと思います。

ありがとうございました。

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