
浅原由香氏 インタビュー
〈ビュッフェ・クランポン〉創立200周年を記念し、連載インタビュー「私のオーボエ人生とビュッフェ・クランポン」を開始いたします。オーボエの第一回目は札幌交響楽団副首席オーボエ奏者として活躍され、木管五重奏団〈樹-Quintet Itsuki-〉のメンバーとしても注目を集める浅原由香氏。国際舞台での挑戦やアンサンブルの魅力、演奏を通じたメッセージの届け方、そして未来への展望まで、その歩みと想いを伺いました。
音が言葉になる瞬間を届けたい
木管五重奏という挑戦 ― 樹-Quintet Itsuki- の活動から
昨年の第73回ARDミュンヘン国際音楽コンクール木管五重奏部門でセミファイナルまで出場され、委嘱新曲作品最優秀賞を受賞されましたね。おめでとうございます!木管五重奏《樹》は、どのような経緯で結成されたのですか。
ミュンヘン国際音楽コンクールに出場するためです。フルートの清水伶君とファゴットの長田和樹君が「木管五重奏で挑戦したい」という目標を掲げ、メンバーを集めてくれました。その中に私も声をかけていただいたんです。それまで全員で共演した経験はなく、個々とは演奏したことがあっても、学年も経歴もばらばら。ほとんどが東京藝術大学卒ですが、清水君は東京音楽大学出身で、むしろ共演の機会は稀でした。しかし、候補者リストに私の名前を入れてくれていたようで、YouTubeなどで私の演奏を聴いて音楽的に共感してくれたとのこと。長文の熱烈なメッセージをもらい、私自身ももうコンクールに出ることはないかも知れないと思っていたので、アンサンブルで挑戦できる機会は魅力的で、二つ返事でお受けしました。
結成から出場までの準備期間は。
3年です。2021年に結成し、2024年に出場しました。その間、年1回の演奏会を開き、コンクール課題になりそうな曲を必ずプログラムに入れ、人前で演奏しておくよう計画しました。この計画も清水君が立ててくれたものです。挑戦の背景には、木管五重奏部門の開催が10年ぶりで、今後の財政事情からアンサンブル部門が縮小、廃止される可能性があるという事情もありました。もしかすると最後の開催になるかもしれない――そんな思いが出場の原動力になりました。
初めて音を合わせたときの印象はいかがでしたか。
音楽の方向性が驚くほど合うと感じました。自分が吹きたいと思った方向に誰も逆らわず、自然に流れ、曲としての完成度が初回から高かったんです。初めて合わせたメンバー同士で、こんなに心地よく演奏できるとは思いませんでした。
木管五重奏におけるオーボエの役割や意識していることを教えてください。
オーケストラでは全体に溶け込むことを意識しますが、木管五重奏ではやや明るめの響きを意識します。5人の音がフワッと舞うように感じられるからです。音色面では、オーボエは芯のある響きで柱となり、その上にフルートやクラリネットの響きが乗ることで全体がまとまります。男性4人のパワフルな響きに負けないどっしりした音を基本に、歌う部分では繊細な音作りを心がけています。

写真:第73回ARDミュンヘン国際音楽コンクール木管五重奏部門セミファイナルでのQuintet Itsukiの演奏写真。©️Daniel Delang
現代作品や委嘱新曲作品最優秀賞を受賞されたドーデラー作品で特に難しかった点は。
現代曲は構造が複雑なので、耳と頭で展開を把握するために入念に譜読みしました。ドーデラー作品は参考音源がなく、譜面だけを頼りにイメージを構築。テーマを調べ、作曲家のコメントを読み取り、そこに自分たちらしさを加えました。
参考音源がない中、5人でのすり合わせはどのようにされましたか。
背景を全員で調べ、共通認識を持つことを重視しました。音楽的な方向性はもともと合っていたので、場面ごとの音色や表現の共有は難しくなく、リハーサルでひたすら吹き込み、体に落とし込みました。この曲には最も時間を割いたと思います。
限られた練習時間での効率化の工夫を教えてください。
必ずリハーサルを録音し、全員で確認してフィードバックしました。翌日の練習では重点箇所に集中し、本番に委ねる部分と区別して進めます。理論的に分析するメンバーと感覚的に進めるメンバーがいますが、お互いのやり方を尊重し、足りない部分を補い合うことでバランスが取れていました。
ミュンヘンの大舞台。緊張されませんでしたか。
私は本番直前に極度に緊張するタイプではありませんが、大きな舞台の数日前になると、強いプレッシャーを感じることがあります。考えすぎると不安のループから抜け出せなくなるため、あえて楽器や演奏のことは考えず、メンバーと食事の話など全く別の話題をして気持ちを切り替えます。すると、本番には気持ちが吹っ切れ、思い切って舞台に臨めるのです。
ミュンヘンでの一次予選は、本番2〜3日前が最も緊張感の高い時間でした。出場者登録のため、初めて会場であるミュンヘン音楽大学を訪れた日。すでにコンクールは始まっており、事前に決めていた通り、少なくとも1団体の演奏を聴いてホールの響きを確認することにしました。5人で客席に座り、演奏を聴くと、その張り詰めた空気感に圧倒され、メンバー全員がややナーバスに。そんなときこそ、演奏から離れた話題で気持ちをほぐし、空気を和らげるよう努めました。
響きの中で奥の奏者の音がこもりやすい位置や、内側と外側で音量差が出やすい配置なども把握できたのは大きな収穫です。私の位置はフルートの左でやや内向きになるため、音が前に届くようステージ側に体を向けるなど、細かな調整を事前に共有しました。会場リハーサルは事前申込で可能でしたが、宿泊地から片道2時間かかるため、往復4時間を移動に費やすよりも自宅で練習することを選択。経験豊富なメンバーばかりだったこともあり、「ホールを聴けば十分対応できる」という結論に至ったのです。 本番では、響きに合わせて余韻の残し方や音のクリアさを微調整しましたが、美しい響きを持つ会場だったため、大きなストレスなく演奏に集中できました。
アンサンブルで一体感を感じた瞬間は。
ドーデラー作品では、全員が同じ方向を向き、流れに身を任せて音楽が対話する瞬間がありました。客観的に聴いても「いい時間だった」と思える演奏が、一体感の証だと思います。
受賞の要因はどのように分析していますか。
私たちは予選の最後の演奏で、全12団体が同じ新曲を演奏する中、オリジナリティを出せたことが大きいと思います。特にクラリネットの亀居優斗君が長いソロを暗譜し、客席に向かって吹く演出は効果的でした。亀居君は技術も素晴らしく、音もよく飛び、暗譜もできるので、本当に1人だけのステージのような雰囲気になり、4人でそれを引き立てるように伴奏しました。作曲家から「自由に表現してよい」と言われていたので、自分たちしかできない形を目指しました。
《樹》の魅力とは。
全員が大きな波長を共有し、スケールの大きな音楽を作れることです。小さな波ではなく、大きなうねりを全員で生み出せる――これが私たちの強みだと思います。他のメンバーの考えも、ぜひ聞いてみたいですね。

写真:浅原由香氏
「本番直前に極度に緊張するタイプではありませんが、カフェインに敏感なため、本番前は特に摂らないようにしています。」
音楽の原点と学びの時代
オーボエとの出会いの瞬間を、今でも覚えていますか。
覚えています。小学4年生のときでしたが、その頃はオーボエという名前すら知りませんでした。体験入部でいろいろな楽器を試したとき、偶然オーボエで音が出たんです。ほかの同級生にはすぐ音を出せる子がいなかったこともあり、そのまま担当になりました。音が出た瞬間、「不思議な音がするな」と感じたのをよく覚えています。それまで自分が触れてきた楽器にはない種類の音で、とても新鮮で魅力的でした。
ピアノから音楽を始められたそうですが、吹奏楽部への入部や、東京藝術大学附属高校(芸高)を志すまでの経緯をお聞かせください。
ピアノは4歳から始め、高校受験までは師事して熱心に学びました。独奏楽器であるピアノから、複数人での演奏に興味を抱き吹奏楽部へ。中学3年時、将来を見据えてオーボエに専念することを決意しました。演奏者層の厚いピアノよりも、オーボエの方が自分を活かせると感じたのです。藝大附属高校を目指したのは、恩師や紹介を受けたオーボエの先生が藝大出身で、「音大に行くなら藝大」という思いが自然に芽生えたからでした。全国から優秀な学生が集まる環境にも魅力を感じました。
藝高・藝大での学生生活で、印象に残っていることはありますか。
芸高では同級生にオーボエの子が一人いて、彼女は大学は行かずドイツ留学へ。二人で同じ先生に習い、切磋琢磨できたのが大きかったです。藝大では荒木奏美さん、現在広島にいる大西幸生さんと同級生で、距離も近く何でも相談し合い、アンサンブルも重ねました。彼らの背中を見て「自分も頑張らなければ」と思えたのが、一番の学びでした。
「この時期にやっておいてよかった」と思う学びや習慣があれば教えてください。
中学から大学にかけては、身体ができてくる時期で、良くも悪くも癖がつきやすい年代です。無理に力んで吹いたり、ストレスを抱えたまま練習を続けるより、一度立ち止まることも大切。高音の音程が下がる、低音が出ないといったトラブルは、自分の技術だけでなく、楽器のメンテナンス不足など他の原因も疑ってほしいと思います。
音大生には、基礎の徹底を強く勧めます。ロングトーンやエチュードなど基礎練習を毎日のルーティンにしっかり組み込み、土台を作ること。曲の練習や譜読みは楽しいものですが、基礎が不十分だとその癖がすべての演奏に影響してしまいます。私も学生時代に先生から基礎を徹底的に指導され、今の奏法の礎になっています。
数々の受賞歴の中で、最も転機になった経験は何でしょう。
2018年にソニー音楽財団が主催した第12回国際オーボエコンクールです。それまでコンクールにはあまり積極的ではなく、順位や点数を競うことに興味がありませんでした。中学時代の顧問が「音楽は自由で、点数をつけるものではない」という考えだったことに共感していたからです。しかしソニー国際は世界的にも有名で、「外の世界を知りたい」という思いが芽生え、初めて自分から挑戦したコンクールでした。ありがたいことに入賞でき、それと同時に世界中から集まった演奏家たちの表現の自由度やレベルの高さに刺激を受けました。
そして、練習の意味や目的を改めて実感しました。目指す音楽があり、そのために練習する——その感覚を初めて身体で理解したのがこの時でした。それ以降、私の練習の仕方は大きく変わりました。自分の音をよく聴くようになり、「この音はどう出すのか」「このフレーズを作るには何が必要か」といった探求が増え、単に間違えず吹くこと以上に、表現に重きを置くようになりました。

写真:浅原由香氏
音色の探求と伝えること― 音楽を社会とつなぐ
ご自身の表現美学を詳しく教えてください。
オーボエの一番の魅力はやはり音色だと思っています。人の声のように語りかけ、柔らかく響かせることも、感情を強く込めることもできる。音色の変化を自在につけられる楽器であり、その幅を広げ、多彩な表情を引き出すことを日々の目標にしています。
また、即興的な調整も大切にしています。これは、アンサンブルやオーケストラの経験を通じて身についたものです。ソロと違い、多くの楽器が同時に鳴る中では常に外側に耳を向けています。指揮者がいても、楽器同士のやり取りを聴きながら演奏することで、音楽が立体的になります。例えば自分が作った音色やテンポ感に周囲が応えてくれたり、逆に弦楽器や後方の楽器の雰囲気がふっと変わった時に、それに即座に寄り添えるようになった時の感覚は格別です。リハーサルではなかった変化を本番で生み出せた瞬間に、大きなやりがいを感じます。
そうした瞬間の積み重ねが、聴き手に届く音を作るのですね。練習やメンタル面で意識していることはありますか。
広い空間での響きを常にイメージしています。練習でも可能な限り広い場所を選び、音で空間をどう満たすかを意識します。前方だけに音を飛ばすのではなく、周囲すべてを包み込むような響きを目指します。直線的な音より、空間全体を活かす響きがオーケストラの中でまとまりを生みます。
そのように全体に音を回すためには、やはり経験でしょうか。
まず、身体の脱力が鍵だと思います。力まず、体全体が共鳴体になったような感覚を持つことです。友人の勧めで始めたヨガも大きな助けになりました。ヨガでは吐ききってから吸う呼吸を重視しますが、これはオーボエの呼吸法と似ています。身体の重さを感じ、筋肉を緩めながら呼吸を整えることで、自然に楽に吹けるようになりました。
その上で重要なのが、リードのセッティングです。無理に息を入れなくても十分に振動し、空間に響くリードづくりを心がけています。
さらに、練習中は常に客観的に自分の音を聴くことが大切です。つい主観的になりがちですが、聴き手にとって心地よい強弱やアゴーギクは何か、自分が客席にいるつもりで確かめながら演奏に向き合っています。
生徒さんが自分の音を聴いていないと感じた場合、どのように指導されますか。
まずは指摘し、録音を勧めます。演奏中の感覚と録音を聴いた時の感覚は大きく違い、改善点が見えてきます。また、グループレッスンでは人の音を聴く練習から始めます。他人の音を意識的に聴き、「自分ならこうしたい」という感覚を持ってから自分の番で吹くと、音の聴き方が変わり、アンサンブルもしやすくなります。
以前のブランドから〈ビュッフェ・クランポン〉に転向されたきっかけは何でしょうか。
以前使っていた楽器は音色も良く、世界的に信頼されるものでしたが、自分の表現が制限される感覚があり、長いフレーズを歌い切るのが難しかったり、音色の幅を広げられなかったりしました。強い音も枯れた音も思うように作れず、もどかしさがありました。もっと自由に音色や表情を変えられる楽器を求めていた時、当時の先生が〈ビュッフェ・クランポン〉を使っていたことから、メーカーにこだわらず試奏しました。リードを調整しながらの試奏となりましたが、相性の良いリードで吹いた瞬間、自分の表現がダイレクトに伝わる感覚があり、「これだ」と直感しました。〈ビュッフェ・クランポン〉の“Orfeo”や“Virtuose”は、息が自然に入り、ストレスなく音を作れる。抵抗感が少なく、出したい息の量をバランスよく音に変えてくれるので、「音がそのまま言葉になる」感覚を得られます。語りかけるように吹きたいという理想に、より近づける楽器です。
学校公演やトーク付き演奏で、「伝える演奏」のために意識されていることは。
作曲家が残そうとしたメッセージを、オーボエの音で伝えたいと思っています。オーボエは言葉を持たない楽器なので、音符をなぞるだけになりやすい。しかし、フレーズや音色の変化を使って“語る”ように吹けるかどうか――これは常に研究しているテーマです。
また、自分の表現の幅を広げるために、他の奏者の録音もよく聴きます。演奏の中で「ここはいいな」と感じた表現を、自分でも試してみる。そうして新しい“引き出し”を取り入れています。特に、コンセルトヘボウ管弦楽団首席オーボエ奏者アレクセイ・オブリンチュクさんの演奏が好きで、モーツァルトの協奏曲と四重奏曲が収録されたCDは、私にとってのバイブル。オーディション前にもよく聴いていました。
さらに、オーボエ作品はあまり知られていないものも多いため、まず作曲家や曲が書かれた背景を話して興味を持ってもらいます。「こういう気持ちで書かれた曲だから、この曲想なんだな」と納得してもらえると、聴く姿勢が変わります。例えば、曲中の特定のフレーズを取り上げ「これはこういう意味を持つモチーフです」と解説すると、その後の演奏がぐっと聴きやすくなります。テーマの意味や跳躍の感情表現などがわかると、音楽の世界に入り込みやすくなるのです。

写真:浅原由香氏
「リードは毎日少しずつ作ります。義務ではなく楽しみのひとつと考えることで、モチベーションも変わります。材料ごとの個性を受け入れ、趣味のように向き合うと、ハードルは下がります。ケーンはフランス製(ロレー)を主に使用。チューブはドイツ・ヘンツェの幅広E8を愛用しています。全長71mmで完成、巻き上げは74mm、そこから3mmカットしています。」
未来へ
これから挑戦したいこと、理想とする響きは。
理想に近い夢ですが、いつか海外で演奏してみたいと考えています。長期滞在すれば響きの感覚や音楽観が変わり、新しい視点を得られると思うからです。ミュンヘンコンクールで出会った奏者たちは、音楽を心から楽しんで演奏しており、文化として根付いた音楽の中で学ぶことの価値を強く感じました。具体的な計画はまだありませんが、留学や海外オーケストラでの活動にも挑戦してみたいです。
〈ビュッフェ・クランポン〉200周年に寄せてメッセージをお願いします。
200周年という節目を迎えられたこと、本当におめでとうございます。私が関わるようになってからの年月はまだ短いですが、楽器開発の多様なアプローチや、世界中の奏者同士を結びつける活動に大きな魅力を感じています。その方針をこれからも続けていただければ、私たち演奏家にとっても心強い限りです。
ありがとうございました。