
音楽と文化を超えて:エレーヌ・ドゥヴィルヌーヴが語る音楽教育の探求
フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団のスーパーソリストとして活躍する傍ら、パリ国立高等音楽院、サン=モール地方音楽院で若手奏者の育成にも情熱を注ぐエレーヌ・ドゥヴィルヌーヴ氏。近年日本でも活動を広げる同氏に、2024年8月、ビュッフェ・クランポン・ジャパン テクニカルサポートの青柳亮太がお話を伺いました。前編、後編に分けてお届けします。(こちらの記事は前編です。)
日本との出会いはコンクール出場で来日されたときでしょうか?
ドゥヴィルヌーヴ(敬称略):ブラボー、ほぼ正解です!実はコンクールの前年、19歳のときに初めて日本を訪れました。パイヤール室内管弦楽団の日本公演に参加するためです。そのときの1番オーボエは、ミシェル・ジブロー氏。リグータのアーティストであり、今は引退されていますが、日本語も流暢に話されるほど日本通で、日本の文化にとても詳しい方でした。
演奏旅行は3週間におよび、九州から始まり、京都や東京を経て、北海道でツアーを終えました。今から30年前のことです。当時はスマートフォンも地図アプリもなく、移動の際は紙の地図や路線図が頼り。正直、かなり苦労しました。でも、それ以上に日本に惹かれるものがたくさんありました。ジブロー氏に連れて行っていただいた食事処での体験も、私の日本への好奇心と愛情を育んでくれました。彼は注文も日本語でスラスラとこなしていて、驚きました。これが私と日本との最初の出会いです。そしてこのときから、日本に恋をし始めました。
翌年は東京でのコンクールに出場するために滞在。記憶が曖昧ですが、2〜3週間にわたる長丁場のコンクールだったと思います。オーボエの練習に集中していましたが、合間に東京の街を散策する時間もあり、私の日本への想いはさらに深まりました。
以来、オーケストラの演奏旅行、マスタークラス、コンサートなど、さまざまな目的で定期的に日本を訪れています。

エレーヌ・ドゥヴィルヌーヴ氏(使用楽器〈ビュッフェ・クランポン〉オーボエ“Prestige”)
初見演奏の価値と技術
サン・モール・デ・フォッセ地方音楽院で教鞭をとっていらっしゃいますが、どのような学生が学んでいますか?
ドゥヴィルヌーヴ:現在は5人の学生を受け持っています。もちろん、外国人の学生も受け入れています。昨年は、リヨン国立高等音楽院を卒業した韓国の学生が、さらなる研鑽を積むために私のクラスを選んでくれました。
パリ国立高等音楽院で教えていらっしゃる「初見」はどのような授業なのでしょうか?
ドゥヴィルヌーヴ:「初見」のクラスは毎週あり、私は担任として学生たちと密に関わっています。このクラスがとても好きです。フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、サクソフォーン専攻の若い学生たちが在籍していて、みな熱心で優秀です。
授業では、音楽様式や譜読みの知識をもとに、初めて見る楽譜にどうアプローチするかを教えます。どの曲で何を重視すべきか——様式、音、リズム、フレーズのエネルギーなど——を瞬時に見極める力を養い、その曲らしさを練習なしで表現できるように指導します。とても面白く、学びの多い授業です。
こうした力は、作品の全体像を捉える助けになるだけでなく、突然オーケストラや室内楽に呼ばれて演奏するような場面でも大きな武器になります。
授業は、個人、ピアノ伴奏付き、室内楽、木管セクションの合奏など、さまざまな形で行います。他の奏者と初見で演奏するのはとても高度な技術が必要です。初見だとつい自分の譜面に集中しすぎて、他の奏者を聴く余裕がなくなりがちですが、「自分がメロディーだからもう少し前に出よう」「私は伴奏なので、フルートやクラリネットの旋律を支えよう」など、状況をすぐに判断して演奏に反映させることが求められます。
つまり、初見演奏においても、アンサンブルをどう成立させるかを瞬時に理解し、対応できる力が必要です。それは、オーケストラ奏者としての本質的な技術のひとつです。本当に大切なことだと私は思います。
初見の授業というのは、フランスではよく行われているのでしょうか?
ドゥヴィルヌーヴ:はい、初見の授業はフランス独自のものです。もちろん、初見が苦手でも素晴らしい演奏は可能です。でも、このスキルがあると、演奏家として大きな助けになりますし、気持ちにも余裕が生まれます。
初見力には、特にリズム感が深く関わっています。たとえば、コンサートで緊張しながら演奏すると、その人の中で何が支えになっているか、どこに不安を感じているかが演奏を通して伝わってきます。授業中でも同じで、音は合っていてもリズムが不安定になる学生もいれば、リズムは正確なのに音の間違いが目立つ学生もいます。
また、譜面通りに正確に演奏していても、まだ音楽的に響かないケースもあれば、逆に表現力にあふれていながらミスが多い学生もいます。本当にさまざまなタイプがいて、それぞれに個性と課題があり、その違いを見つけていくのがとても興味深いです。
初見の授業は、こうした違いや傾向を明らかにし、その人にとっての「次の一歩」を見つける手がかりになります。だからこそ、日々の練習における指針としても、とても有益な訓練だと感じています。

写真左から、エレーヌ・ドゥヴィルヌーヴ氏、ビュッフェ・クランポン・ジャパン テクニカルサポート 青柳亮太。
初見力や移調の大切さを感じた出来事として、コロナ禍のエピソードがあったそうですね?
ドゥヴィルヌーヴ:そうですね。たとえば、クラリネット専攻の学生には「移調」の技術を身につけさせることがとても大切だと感じています。これは、本当に欠かせないスキルです。以前の世代は自然に移調ができていましたが、今の学生たちはその技術にあまり慣れていないように思います。
今年の8月初め、フランスのユースオーケストラ「l’Orchestre Français des Jeunes」で指導をする機会がありました。そのときのクラリネット・セクションの学生たちは、まさに移調が必要不可欠な技術だということを実感したのではないでしょうか。
というのも、ある日、1人の学生が体調を崩してしまい、翌日のリハーサルで別の学生が代役を務めることになったのです。ところが、その学生はその曲を一度も練習しておらず、完全な初見で演奏しなければなりませんでした。さらに、譜面はin Cで書かれていたため、B♭管クラリネットではその場で移調して演奏しなければなりませんでした。その後も、E♭管クラリネットを担当していた学生の楽器に不具合が発生し…結局、クラリネット・セクションの全員が、「やっぱり初見と移調はすごく役に立つんだ」と実感していました。
きっと、彼らにとって忘れられない経験になったことでしょう。
思いやりが育む音楽教育
日本とフランスの音楽教育、共通点や違いはありますか?
ドゥヴィルヌーヴ:フランスの音楽教育と日本の音楽教育には多くの共通点があり、非常に似ていると感じます。どちらも「卓越性」や「自分の限界を超えること」、「常に最善を尽くす姿勢」を大切にしています。
また、フランスにはすべての楽器において優れた伝統的な楽派があり、これは本当に素晴らしい文化的財産だと思います。その豊かな伝統を尊重しながらも、近年のフランスの音楽教育は、諸外国の影響を柔軟に取り入れるようになってきました。世界中に才能ある音楽家がいますし、「美しさ」の感じ方は国によって異なります。そうした多様な価値観に触れることは、とても良い傾向だと思います。
私が特に大切にしたいのは、「思いやりのある教育」です。音楽教育は、まず生徒に対して思いやりをもって接し、ポジティブな視点を持つことから始めるべきだと思います。かつては「先生の言うとおりにしなさい。それができなければあなたはダメです」というような、評価を中心とした教育スタイルが主流だった時代もありました。でも、それは本当の意味で教育的とは言えないと私は考えます。
今では、アメリカやイギリスの音楽教育、さらにはスポーツのコーチングなどから良い影響を受けながら、ひとり一人の生徒の長所や素質、心の支えになるものを見つけ、そこを軸に強化すべきポイントを示していくことが、より優れた教育につながると感じています。
以前は、「ほめる」ことをほとんどせず、ただ高い要求だけを突きつける教師が多かったように思います。高いレベルを求めることと、厳しさを混同していたのかもしれません。私は謙虚な姿勢を大切にしながら、少しずつでもその価値観を変えていけたらと願っています。
生徒たちは本当に素晴らしい存在です。何よりもまず、「人」として尊く、価値のある存在です。だからこそ、彼らのありのままを受け入れ、「ここはとても得意だね」「ここはもう少し練習が必要だね」と伝えることが大切なのです。
こうして生徒が自分自身の力を客観的に認識できていれば、教師が思いやりをもって接することは、決して高いレベルを要求する妨げにはなりません。

エレーヌ・ドゥヴィルヌーヴ氏
あなたの先生についてお聞かせください。モーリス・ブルグ先生といえば「厳しさ」で語られることもあるようですが、ご自身にとってはどんな存在でしたか?
ドゥヴィルヌーヴ:そうですね、厳しい一面は確かにありました。でも、私はブルグ先生のことがとても好きでした。厳しいけれど、本当に誠実で温かい方だったと思います。
多くの人が、先生の厳しさや、時に皮肉を交えた言い方、生徒をからかうような態度を印象に残しているようです。でも、私は幸運にも、それだけではない側面をたくさん見ることができました。
先生は、自分にも他人にも非常に厳しく、短気なところもありました。「それではダメです」と繰り返し言われ、「いいですね」と褒められることは、ほとんどなかったですね(笑)。でも、私の父が同じような世代で似た性格だったこともあり、私は自然と先生のやり方を受け入れることができたのかもしれません。
習い始めた頃は、不思議なことに、私が吹くと「とてもいいですね。次は何を練習してきましたか?」とおっしゃってくださったんです。でも私は、自分の演奏に納得がいっていなかったので、ある日思い切って聞いてみました。「先生はよくできていると言ってくださいますが、このフレーズはどのように吹かれますか? ビブラートはどう使っていらっしゃいますか?」と。
すると先生は、急に饒舌になってすべての質問に答えてくださいました。そして、眼鏡を鼻の先にちょこんと乗せたまま私を見て、南仏訛りで「私に興味を持ち始めたのですねぇ」と微笑まれたんです(笑)。
私も南仏出身なのですが、先生は私の母と同じアヴィニョンのご出身で、2人の話し方には同じ訛りがありました。
そのとき、私は「どうしたら先生が心を開いてくださるのか」に気づいたのです。つまり、先生の流儀を尊重して、こちらから歩み寄ることが大切なのだと。先生は時に厳しいことをおっしゃいますが、それにムッとしてしまっては終わりです。反発せず、素直に「教えてください」と近づけば、驚くほど素晴らしいレッスンをしてくださいます。プライドは一旦置いておいて、自分の向上のために心を開くこと。それができれば、先生のレッスンは本当に貴重なものになります。
だからこそ、私の中には先生との良い思い出ばかりが残っています。要求のレベルは非常に高かったですが、それ以上に「演奏する喜び」を教えてくださいました。
先生はよく「演奏前はしっかり考えなさい。演奏後もよく考えなさい。でも、演奏中は“今”に集中しなさい」とおっしゃっていました。仏教や禅に深い関心を持たれていて、「弓と禅」(オイゲン・ヘリゲル著)という本についてもレッスンでよく話されました。「読んだことはありますか?」と聞かれたこともありました。瞑想や“今を生きる”という精神は、音楽とも深くつながっているのだと思います。
私は先生から、ただ音楽の技術だけでなく、精神的な姿勢、生き方そのものにも大きな影響を受けました。だからこそ、今でも先生との思い出は私の中で生き続けています。そして、その教えは、私自身のレッスンの中にも息づいていると感じます。
自分の生徒たちには、私に多大な影響を与えてくれたブルグ先生や、ハインツ・ホリガー氏の演奏についてもよく話しています。昨年、ブルグ先生が亡くなられたとき、ある昔の生徒がこう言ってくれました。「ブルグ先生が亡くなってエレーヌ先生が悲しいのはよく分かります。でも、エレーヌ先生のおかげでブルグ先生は私たちの中に生きています。エレーヌ先生のレッスンの中に、ブルグ先生は生き続けています」と。この言葉は本当に嬉しかったですね。
(後編:「現代音楽から楽器選びまで:エレーヌ・ドゥヴィルヌーヴが語る音楽の深層」に続く。)